輪廻の風 (55)



バレラルクと旧ドアルの戦いが終わり、長い長い夜が明けた。

王宮とパニス町のほぼ中間に位置する場所に、軍が保有している収容所がある。
その収容所には、毒ガス室と呼ばれている広い部屋がある。

その部屋の天井には巨大な水栓シャワーのような形をした器具が備え付けられており、そのから毒ガスが霧状に散布される仕組みとなっている。

その部屋も毒ガス兵器も、複数の罪人を一気にまとめて処刑する時にのみ使われる。

現在その毒ガス室には旧ドアル軍の兵隊とノヴァファミリーの構成員、合わせて200名ほどが収容されている。

彼らはこの残酷な部屋で手錠や足枷をはめられているわけでもないが、大人しく一夜を過ごした。

ほとんどの者が一睡もしていなかった。
皆、うずくまりながら床に座り込んでいる。

「アズバールさんがやられたらしい…。」
「ギルド総帥とジャクソンさん死んだってよ。」「俺たちこれからどうなるんだろう…。」「全員処刑に決まってるだろ…。」

彼らは敗北感に打ちのめされ、完全に戦意も気力も削がれていた。

自分たちは負けた。
この現実を受け入れ深く絶望し、死を待つのみだった。

すると、ガス室に王室の給仕達がぞろぞろと入ってきた。

先頭にいた給仕の男3人が大きな寸胴鍋を運んで床に置いた。

ラーミアとアルファは、大量のパンが入ったカゴを1つ、2人で運んでいた。

鍋の中身はビーフシチューだった。
柔らかい牛肉と新鮮な野菜がゴロゴロと入っていて、この上なく美味しそうだった。

給仕たちはビーフシチューとパンを皿によそい、囚人達一人一人に丁寧に渡していった。

これから処刑されるものとばかり思っていた囚人達は、あまりにも予想外の出来事にあっけにとられポカーンとしていたが、ビーフシチューとパンの香りに食欲がそそられ、一心不乱に食事にありつけた。

「うまい…うまい!」
囚人達は皆、心底幸せそうな表情をしている。

「まだまだおかわりありますよー!」
アルファが元気良く、笑顔で声をかけた。


「こんなうめえメシは久しぶりだろ?おめえらロクなもん食ってなさそうだったもんな。」
カツン、カツンと足音を立てながら、ロゼがガス室に入ってきた。

囚人達はピタリと手を止め、緊迫した様子でロゼを見上げている。

「昨夜、軍の上層部達と話し合ってな、お前らの処分が決まった。」

囚人達はゴクリと生唾を飲んだ。
優雅に食事をとる気分にはなれなかった。

「お前らは、昨日新たに新設されたバレラルク兵団に入ってもらう!」
ロゼが大きな声でそう言うと、囚人達はあまりにも予想外の展開に頭が真っ白になった。

すると、ノヴァとラベスタがガス室に入ってきて、ロゼの横に立った。

「兵長のノヴァだ。そして副兵長は隣にいるラベスタだ。これからよろしく頼む。」
ノヴァは真面目な顔つきでそう言った。

「もう武器を手に取りたくない、って奴もいると思うが安心してくれ。働き口は俺が斡旋する。地方の方じゃ農業や漁業が深刻な若手不足らしいからな。」
ロゼがそう言うと、決定に対して納得のいっていないドアル人達が何人か声を上げた。

「ちょっと待ってくれよ!俺たちはバレラルクを攻め落とそうとしたんだぞ!?普通処刑だろ!?」「なんかおかしいぜ…何企んでやがる!」ザワザワと騒々しくなった。

すると、ロゼは囚人達に土下座をした。
それを見た囚人達は戸惑い、静まり返った。

「おいおい…王子がそんなことしていいのか?」ノヴァが呆れた口調で言った。
ラベスタは無表情で無反応だった。

「言いたいことも色々あるだろうが…納得してくれ。俺はもう争いたくないんだ。ここでお前ら全員を処刑したらまた新たな憎しみが生まれる…俺はこの憎しみの連鎖を断ち切りたいんだ。」
ロゼは悲痛な声色でそう言うと、立ち上がって再び喋りはじめた。

「復讐なんてやめろ…そんな綺麗事を言うつもりはねえ。だから、バレラルクが憎いなら俺を殺してくれ!バレラルクに対する憎しみは全て俺にぶつけてくれ!今すぐ俺の首を狙っても構わねえ…俺は逃げも隠れもしねえからよ。」ロゼが言った。

ロゼの思いが伝わったのか、囚人達は少し悲しげな表情をしていた。

一国の王子が賊軍に頭を下げて訴えかける。
前代未聞だが、囚人達はその意味を理解した。
ロゼを殺す、バレラルク人を殺す、そんな素振りを見せる者は誰1人としていなかった。

旧ドアル軍に至っては、アズバールに対する恐怖心で動いている者がほとんどだったため、憎しみに取り憑かれているような人間はいなかった。

「この中でまだ納得のいってねえやつはいるか!?いるなら遠慮なく言え!納得できたなら返事をしろ!」ノヴァが大きな声で、その場を仕切るように言った。
兵長としての威厳を早くも発揮していた。

「はいっ!!」
旧ドアル軍の残党、ドアル人。
プロント人をはじめ様々な民族で結成されたノヴァファミリー。
彼らはまるで生まれ変わったような顔つきで、返事をした。

普通なら即処刑されるようなことをした。
そして敗北した今、誰もがそれは免れることのできない未来だと思っていた。
しかし許された。

その寛大な慈悲に報い、新しい人生を歩み、心を入れ替えようという強い意志を一人一人から感じ取った。

「早速だがおめえらに任務を与える!もうすぐ国中の職人達がディルゼンに到着する。みんな城下町の復興作業に協力してくれるそうだ。お前らはその手伝いをしろ!まずは瓦礫の撤去作業からだ!飯を食ったらすぐ準備しろよ?」ロゼはそう言い残し、部屋を出た。

「お前って本当に異色な王子だよな。」

「おうエスタ、来てたのか。」

ガス室の入り口の前で、エスタは一連の流れを見ていたようだった。

「あんな姿ジェシカやモエーネが見たら発狂するぜ?」

「はははっ、かもな。ところでエスタ、昨日の夕方ごろ発見されたギルドの死体の件だが…あれやったのお前か?」
ロゼが確信の表情をしてエスタに問いかけた。エスタを見るロゼの眼差しは険しかった。

「…そうだけど、なんか問題ある?」
エスタは開き直った様子でいった。

「まあ別に咎めはしねえけどよ…ガキのうちからあんま人を殺しすぎるとロクな大人にならねえぜ?」ロゼは半笑いで言った。

「…肝に銘じておくよ。」
「まあ、程々にな?」
そんな会話をしながら、2人は収容所を後にした。


エンディはロゼの居城の一室を借り、ベットで横になっていた。
そして、炊き出しを終えたラーミアがお見舞いに来ていた。

「エンディ…勝手なことしてごめん…。」
ラーミアはみんなに睡眠薬を飲ませ、1人でインドラへ向かった自分を責めている様子だった。

とても申し訳なさそうに、緊張した様子でエンディの顔色を伺いながら謝罪をした。

「ラーミア…無事でよかったよ。」
エンディは優しい笑顔でそう言った。

思うところは色々あったが、ラーミアを責め立てることはできなかった。
みんな無事で、戦いも終わった。それだけで充分だと自分に言い聞かせていた。

ラーミアはエンディの優しさに感動している。

「よっ!元気い〜?」
「エンディ、元気そうね。」
モエーネとジェシカが部屋に入ってきた。
2人は果物が入ったカゴを手に持っていた。


「元気だよ!全然大丈夫!昨日は急にぶっ倒れてみんなに心配かけちゃったな…色々あって疲れてたんだよ!」
エンディは笑いながらそう言った。
元気そうなエンディを見て、ラーミア達は安心していた。

しかし、それは所謂空元気というやつだった。
みんなに心配をかけまいと動揺や恐怖を押し殺し、必死に自分を取り繕っていた。

あの日以来、脳裏をよぎった記憶のことが頭から離れない。

目の前で血まみれになって横たわっていた男女は誰なのか?
もしかして自分が殺してしまったのか?
自分は一体何をしていたのか?

考えれば考えるほど、頭が破裂しそうになった。

そして、あの光景を思い出すたびに得体の知れない恐怖感に苛まれ、手の震えが止まらなくなっていた。

「エンディ?どうしたの?」
思いつめた表情をしているエンディに気づき、ラーミアは心配して声をかけた。

「なんでもないよ。それよりカインはどこにいるの?」エンディが聞いた。

「それが、あいつどこにもいないのよ。」
「掴みどころのない男よね。」
ジェシカとモエーネが呆れた様子で言っていた。

エンディは窓から青空を見上げ、カインを心配している様子だった。


玉座の間にはレガーロとモスキーノがいた。
何やら厳粛な雰囲気に包まれていた。

「賊軍どもを迎え入れるとは…我が息子ながら何を考えているのかさっぱり分からんな。」レガーロは頭を抱えていた。

「いいんじゃないですか?これから起こる大きな戦いに備えて、兵を増やすのは得策だと思いますけどね。」モスキーノは軽快な口調で言った。

「何のことだ?」レガーロはカマをかけるような言い方をした。

「昨日、500年続いた大陸戦争が本当の意味で終結しました。しかし本当の闘いはこれからです。大陸戦争なんて、これから始まる巨大な戦争の序章に過ぎない。」モスキーノはニコニコしながらそう言い終えると、途端に笑顔が消えた。

「国王様…あなたは歴史上、初めて神々に反旗を翻した王族です。これからはひたすら修羅の道を邁進することになるでしょう。その御覚悟はおありですか?」モスキーノは鬼気迫る表情でレガーロを見ていた。

レガーロは顔色ひとつ変えず、いつも以上に厳格な態度だった。

レガーロはモスキーノの問いかけに何も反応を示さなかったが、その力強い眼差しからは相手が何者であろうと、例え神であろうともバレラルクの地を蹂躙する者は迎え撃ち殲滅するという強い姿勢が感じられた。


カインは被害がほとんどなかったパニス町の高台に立っていた。
「呪われた黒い血が疼き出したか、エンディ。記憶が戻る日も近いな。」
王宮を見下ろし、風に吹かれながら独り言を呟いた。

その顔つきは、冷酷な表情とも切ない表情ともとれる、何とも言い表しがたいものだった。

輪廻の風 第1章 完

















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