輪廻の風 2-17


今日もディルゼンには厳戒態勢が敷かれていた。

王が不在の中、いつ何時外国勢力が侵攻してくるか、ユドラ人が蹂躙してくるか、王都にはピリピリとした空気が張り詰められていた。

エンディとロゼの捜索も、引き続き行われている。

そんな中エンディ達御一行は、大胆にも軍の演習場に息を潜めながら忍び込んでいた。

地味な服を着て深く帽子を被り、一般市民に紛れて軍や保安隊の目を掻い潜りながら、なんとか演習場へと辿り着くことに成功した。

一切怪しまれる事なく演習場に辿り着けたのは、まさに奇跡と呼ぶに相応しい所業だった。

「さてと、問題はここからだぜ?」
エスタがヒソヒソ声で言った。

「何が問題なんだ?」エンディが小声で尋ねた。

「いいか、俺たちはロゼの所有するプライベートジェットを奪ってディルゼンを発つ。けどな…王族が所有するジェット機なだけに、かなり警備は厳重な筈だ。もしかしたら将帥の誰かが張ってるかもしれねえ。それを強奪するのは至難の業だぜ…?」
エスタは深刻な表情で言った。

エンディはゴクリと固唾を飲んだ。

「そうね…離陸しちゃえばこっちの勝ちだけど、万が一見つかったり阻止されたら、アウトね…。」ジェシカは強張った表情で言った。

「弱気になってどうするんじゃい、ええ?何事もやってみなきゃ分からんじゃろう。」
ノストラは前向きだった。

「とりあえず…行くか…。」
エンディは緊張した様子でそう言った。

エンディ達は忍び足で戦闘機が収納されている大型倉庫へと入って行った。

中には数人の武装した軍人が徘徊していて、一気に緊張が高まった。

「かくなる上は、全員しばき倒して強奪しかないのお。」ノストラがにやけ顔で言った。

「できるだけ手荒な事はしたくないけどねえ…。」モエーネは苦笑いを浮かべながら言った。

そして、緊張感が高まる中、エンディ達は恐る恐る息を殺しながら、なんとかロゼのプライベートジェットが収納されている部屋の前までたどり着いた。

「やっとここまできたか…長い道のりだった…。」エンディはしみじみとしていた。

「安心するのはまだ早いよ。」
ラベスタはエンディと違って気を張り詰めていた。

「中に将帥の誰かがいても安心せい、ワシがおる。」ノストラが自信満々に言った。

ノストラのこの言葉を、エンディ達はとても頼もしく思った。

「よし…突入するぞ。」
エスタが号令をかけた。

エスタに続いて、全員なだれ込むように部屋へと入って行った。

すると、ジェット機の前でいびきをかきながら爆睡している者がいた。

なんと、クマシスだった。

「え?この馬鹿何やってんの?」
ラベスタは絶句していた。

エンディ達は確信した。
ジェット機強奪大作戦、これは確実に大成功だと。

理由は明確だった。
なぜなら、見張りが将帥の誰かでもなければ、数人の軍人でもない、あのクマシスだからだ。

エンディ達は今まで感じていた緊張感や疲労が一気に消し飛び、何なら拍子抜けてしまった。

「見張りがクマシスか…しかも寝てやがるとはな、恐れ入ったぜ。これは幸運中の大幸運、思いがけないラッキーパンチだな。けど、これ程の運をここで消費しちまって、この先大丈夫なのか…?」
エスタは一周回って不安に駆られた。

「ムニャムニャ…次期保安隊長はこの俺様だ…おいサイゾー!貴様の時代は終わりだ!」クマシスははっきりとした口調で寝言を言っていた。

「この国始まって以来の大バカね…。」
ジェシカはクマシスに哀れみの視線を向けながら言った。

「ガッハッハ〜、この国にも酔狂なもんがいるんじゃのう!それにしても立派なジェット機じゃなあしかし。」
ノストラが大きな声でそう言うと、エンディ達は冷や汗をかいた。

「ノストラさん、声大きいよ。」
ラベスタが注意した。


エンディ達は、そそくさとジェット機の中へ入って行った。

ジェシカとモエーネは率先してコックピットへと入った。

「操縦は私たちに任せて!おじいちゃん、案内よろしくね?」モエーネが言った。

「だーれがおじいちゃんじゃい、ええ?背の高い小粋なおじ様と呼ばんかい!」
ノストラは満更でもなさそうだった。

「いよいよ出発か…。」
エンディは不安な心境を吐露した。

これからユドラ帝国に出向く。
ジェット機に乗った事でその現実味が増し、同時に緊張感も増した。

エンディだけではない、その場にいた誰もが不安と恐怖を感じていた。

「うおおおおおおー!!」
エンディは感極まって、思わず雄叫びを上げてしまった。

「何急に?」ラベスタは引いていた。

「バカ!でかい声出すなよ!」
そう言ったエスタも中々の声量だった。

「今日まで色んなことがあった…。これからも色んな試練が待ち受けていると思う。それも、今までとは段違いな程に過酷な試練が…。だけど俺なら…俺たちなら絶対に乗り越えられる!ユドラ人共に、一泡吹かせてやろうぜ?」エンディは言った。
今までとは比べ物にならない程、強くて逞しい目つきだった。

そして、血が沸き立つような闘志が感じられた。

「何を偉そうに。」
「おい、いつまでもお喋りしてねえで、さっさと出発しようぜ?」
ラベスタとエスタは呆れた口調で言ったが、エンディに感化されて士気が高まっていた。

それはモエーネとジェシカも同じだった。

「じゃあ、離陸するよ!」
ジェシカがそう言い終えると、ジェット機は大きなエンジン音をあげた。

「ガッハッハー!頼もしい奴らじゃのう!」
ノストラは嬉しそうに笑っていた。

そして、エンディ達を乗せたジェット機は巨大なエンジン音を上げながら大空へと飛び立っていた。

ジェット機が高度約1万メートルに達し、バレラルクの街並みが豆粒のように小さく見えた。

必ずまた戻ってくる。
エンディは、窓からバレラルク王国を見下ろしながら、固く胸に誓った。

「おい!何事だ!」
「何だ何だ!?何が起きた!?」
軍人達は、突如飛び立ったジェット機を見上げながら、パニックに陥っていた。

ディルゼンに緊急警報が鳴り響いた。

この緊急警報は通常、大災害や有事の際に鳴らされるものだが、実際に発令されるのは極めて稀である。

ジェット機が離陸した際の爆音で飛び起きたクマシスがパニックに陥り、うっかり警報装置を作動させてしまったのだ。

ディルゼンに常駐している戦闘員達は、サイレン音を聞いて身が引き締まった。
しかしそれ以上に、その独特ともいえる嫌な音に、嫌悪感と焦燥感を抱いていた。

大騒ぎになっている演習場に、ポナパルトとバレンティノが急いで駆けつけた。

「おいおい何の騒ぎだ!?敵襲か!?」
ポナパルトが大きな声でそう言うと、辺りは更に緊迫した空気に包まれた。

「報告します!只今、ロゼ王子の所有するプライベートジェット機が離陸致しました!中には王室近衛騎士団団長エスタ氏、副団長モエーネ氏、総参謀ジェシカ氏、そしてバレラルク兵団副兵長ラベスタ氏、謎の老人一名、そして…エンディが乗っているのを確認致しました…。」
1人の保安隊員がポナパルトのもとへ駆け寄り、緊張した様子で言った。

「謎の老人…あいつの事かな。」
バレンティノは確信するように言った。

「間違いねえ、あいつらユドラ帝国に乗り込む気だな?よし、俺たちも行くぞ!すぐに追撃の準備を整えろ!カチコミだぁ!!」
ポナパルトが大きな声でそう言うと、軍人達はあたふたしながら動き出した。


「ちょっと待って〜。」
そこに、モスキーノが颯爽と現れた。

軍人達はピタリと動きを止めて、モスキーノに視線を向けた。

「いいよ、追わなくて。」
呑気な口調でそう言ったモスキーノに、ポナパルトは激怒した。

「はあ!?何言ってんだてめえ!?」

「面白そうだし、しばらく泳がせとこうよ。ねっ?」
モスキーノに屈託のない笑顔でそう言われ、ポナパルトは困惑してしまった。

「はいっ、みんな撤収〜。解散〜。各自持ち場に戻った戻った〜!」
モスキーノは笑顔で両手をパンパンと叩きながらそう言い残し、立ち去ってしまった。

警報も鳴り止み、軍人達は何だか拍子抜けてしまっているようだ。

「フフフッ…魚は肥らせて食べた方が美味しい…って事かな?」
バレンティノは合点がいったようだった。

「ったくどいつもこいつも…何考えてやがる!!勝手にしやがれ!!」
ポナパルトはかなり苛立った様子で、早歩きで立ち去って行った。

「クマシス、貴様!なんて事をしてくれたんだ!!死んで詫びろ!!」
サイゾーは剣を抜き、真っ赤な顔で怒り狂ってクマシスを追いかけ回していた。

「ゆ、許してください…!どうか…どうかお慈悲を!!」
クマシスは半泣きになりながら、命からがら逃げ回っていた。

「貴様、今回ばかりは観念しないぞ!!」

「誰にだって失敗や間違いはあるだろ!?完璧な人間なんていねえんだよ!偉そうにするな、お前は偉くないんだから!何様だコラ!」クマシスは心の声を漏らし、逆ギレした。

2人の追いかけっこはこれからも続く。


一方エンディ達は、ジェシカとモエーネが持参してきた大量のサンドイッチを食べながら空の旅を満喫していた。

「ガッハッハー、若いもんらに囲まれて飯を食う、有意義な時間じゃのう!まるで孫でもできた気分じゃわい!」
とてもこれから戦地に赴くとは思えない程の賑やかさだった。

「じいさん、しっかり進路誘導してくれよな。」エスタは生意気な口調で言った。

すると、機内の食品庫から突如「ギャーーーッ!」と悲鳴が聞こえた。

エンディ達は驚いた。

そして、食品庫からダルマインが飛び出してきた。

「なんだ!?地震か!?敵襲か!?え…えー!てめえらなんでここに!?何してんだ!??」

どうやらダルマインは食品庫で寝ていたらしい。
そして、飛行中の機内の揺れで目を覚まし、状況を飲み込めていないようだ。

「やかましい奴っちゃのう、誰じゃいおどれ、ええ?」ノストラは不機嫌そうに言った。

突然のダルマインの登場に、ジェシカとモエーネは露骨に不快感を露わにした。

「ああ、いたな。こんな奴。」
「うん、いたね。生きてたんだ。」
エスタとラベスタは特に興味を示していない様子だった。


「え!?ダルマイン??お前ここで何してんだ??」エンディは目を丸くしながら言った。


「何って…ジェット機奪ってよ、他国に亡命しようとしてだよ。人気の無い南の島でバカンスでもしながら第二の人生を楽しもうと思ってよ。その前に腹が減ったから食品庫で非常食食い漁ってたらウトウトしてきちまってよ、そのまま爆睡しちまった。で、目が覚めたらこの状況。おめえら旅行でも行くのか?」ダルマインは一気に言ってのけた。

「こんな時に旅行なんて行くわけないだろ。俺たちこれからユドラ帝国に行くんだよ。」
エンディがそう言うと、ダルマインの表情はみるみる青ざめていった。

「は…?ユドラ帝国って…え?正気かてめえは…頭大丈夫か…?」
ダルマインは絶望感に襲われた。

「おい!!冗談じゃねえぞ!?オレ様を降ろせぇ!どっか適当なとこに着陸しろ!今すぐに!!」ダルマインはワーワーと喚き始めた。

「そんな時間ないわよ。降りたいなら飛び降りなさい。」

「バカ言うな!いくら俺様でもこの高さから飛び降りたら死んじまう!!」

「別に、一向に構わないけど?」

ジェシカとモエーネに冷たくされ、ダルマインは少し傷ついた。

「おいてめえら!考え直せ!今からでも遅くないぞ!?なっ?なっ?」
ダルマインは機内を駆けずり回りながら言った。

「おいおどれ、近づくな。遠ざかれ。」
ノストラは初対面のダルマインを早速毛嫌いしていた。

ダルマインは意気消沈し、隅っこで静かに嘆いていた。
もちろん、そんなダルマインを気にかける者など、誰1人としていなかった。

「ねえ、ノストラさん?ノストラさんはどうして俺たちに協力的なの?何の目的があってユドラ帝国に行くの?」
エンディは前々から感じていた疑問を、ついにノストラにぶつけた。

ノストラはしばらく黙った後、重い口を開いた。

「そうじゃなあ…ワシなりのケジメかのう…。まあ、罪滅ぼしじゃよ。」
ノストラは切なそうな表情を浮かべながら言った。

「そっか…なるほどね。」
エンディは、それ以上何も聞かなかった。

ラベスタは、時折寂しそうな表情を浮かべるノストラを気掛かりに思っていた。

「ノストラさん、あなた元十戒のメンバーでしょ?逃亡したユドラ帝国に4年ぶりに里帰りする大義と、その後の目的をしっかり話して欲しいわ?」
ジェシカは遠慮なくズバッと言った。

「ガッハッハ〜、最近の若い娘さんは手厳しいのお!そうじゃ…ワシは十戒にいた頃、レムソフィア家に忠誠を誓い、数多の命を奪ってきた。あの頃のワシは自分自身をまるっきり疑っていなかったのう…。それがワシの罪。」

ノストラはそう言い終えた後しばらく黙り、再び口を開いた。

エンディ達は静かに話を聞いていた。

「イヴァンカが解放された時、ワシは恐ろしくて恐ろしくて堪らなかったんじゃ。そして、エンディを連れて逃げ出した…。さらにその後、記憶を失ったエンディを置いて逃げ出した。ワシは、業の深い人間じゃよ…。ディルゼンでエンディとカインを見かけた時に思ったんじゃ、このまま逃げてばかりじゃダメだって…。だからのう、余生は自身の犯した罪と向き合い、奴らに一矢報いたいと思っとるんじゃ。そしておどれら若い世代には、幸せになってもらいたいと心の底から思っておる。」

エンディ達は、ノストラにどのような言葉をかけれるのが最適か分からず、シーンとしたまま黙りこくっていた。

しかし、ノストラの気持ちはしっかりと伝わっていた。

「ノストラさん、俺を置いて逃げたことはもういいよ。全然気にしてない。ノストラさんがいなかったらここまで来れなかった。ユドラ人に立ち向かう決意をしてくれてありがとうね!」
エンディは心から感謝の意を述べた。

「ありがとうなぁ…エンディ…。おどれらのことは命を賭して守るからな、安心せいよ。ええな?」ノストラは涙を堪えながら言った。

「ところでよ、外見てみ。もうユドラ帝国が見えておるぞ。」
ノストラは何の突拍子もなく衝撃的な言葉を発した。

「え!?もう!?」
「ちょっと!早く言ってよ!」
ジェシカとモエーネは激しく動揺していた。

「おいおい、いきなり…。」
「意外と近いんだね。」
エスタとラベスタは心の準備を整えていた。

「実はユドラ帝国は、バレラルクの目と鼻の先にあるんじゃぞ。娘さんら、降下してくれ。」ノストラは指示を出した。

エンディは恐る恐る窓から外の景色を見下ろした。

それは、巨大な山脈が連なる絶海の孤島だった。

エンディ達は息を呑んだ。

目の前の光景が目を疑うほど美しく幻想的で、思わず心を奪われてしまった。

ついに、世界の中枢へと辿り着いた。




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