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アレクサンダーテクニーク

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#観察

「やめる」と「やる」。

「やめる」と「やる」。

二つの境界線がわからなくなるんです。

久しぶりに受けたレッスンで
わたしがやってしまっていることを
教えてもらったんですが、
そのやってしまっていることを
やめるために、
「なにもしなーい、なにもしなーい」と
思っているのですが、
思い続けていると、すぐに
あれ?これ、いま、
やろうとしているのかもしれない、と
そんな気がしてくるんです。

やめようとしているのに、
やろうとしてしまっているかも

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いきいき感。

いきいき感。

何かを真剣にしている時
ありがちなのが、目が死んでしまっていること。

そうしようと思って、しているなら問題はないでしょう。

でも、そうなってしまう、そうしちゃう
だった場合は、死んでしまわない目で
真剣になれるよう練習する方がいいかもしれません。

なぜ死んだ目ではうまくいかないのか。

内にこもってしまっているからで、
内に籠ることをやめられたとしても、
内にこもって練習したことが
多分、お

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判断できる?

判断できる?

もうすでに知っていること。
まだ知らないこと。

知っていることならばある程度の予想はつきますが、
まだ知らないことについては判断できません。

なぜって、まだ知らないから。

レッスンの進みが遅くなったなと感じる方は
判断しようとしている人です。

まだまだ経験し始めたばかりなのに
判断しようとしてしまっているんです。

これも仕方ないことなのはわかっています。
わたしもやっていましたから。

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脱力?

脱力?

全く別ものなんです。

脱力というと、たいていは、
意識して力を抜くわけですから
意識していない時はまた元の状態に戻ります。

アレクサンダーテクニークで目指していることの一つである
「やめる」は、自ら力を入れているということに気づいて
力を入れているなら、
やめれるものは、やめる。
もう一歩進むと、
力を入れたきっかけとなる
刺激に気づけるよう観察する。

なにが力を入れるという反応をすることに

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頭がたかいたかい。

頭がたかいたかい。

いやー、すっかり忘れておりました。

頭はいつでも高いところにあるんだ。

いつものように書きますが、
頭を高く'する'んじゃないんですよ!

胴体の方にめり込むようにしていることを
やめるんです。

やめたら、
頭はたかいところに居続けることができるようになります。

偉そうな記事を書きつつも、わたしも
忘れていることがいっぱいあると言うことです。

でもね、
できていないことを棚に上げないと

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胸骨って。

胸骨って。

いやー、ほんと大事なんですね。

エリザベス・ウォーカーさん、わたしの大師匠が
1999年のコングレスという、アレクサンダーテクニークを
学んでいる方々が世界中から集まるところでの
マスタークラスで仰っていた言葉がずっと気になっていたんです。

その言葉は「リフティング ザ チェスト」と
わたしには聞こえたのです。

え?!胸を上げるんですか?と。

で、ですよ。
例の如く、英語圏でチェストという

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うなじを伸ばす。

うなじを伸ばす。

わたしが好きなサックス奏者雲井雅人さんの
お勧めしていた本を読んで。

柴田睦陸(しばたむつむ)さんの記事。
そこにはアレクサンダーテクニークと通じるような、
そんなことが書かれていました。
(「声楽ライブラリー3」に収録されています)

うなじを伸ばす。
吸ったことで起こる変化のまま歌う。しかも、
うなじを伸ばしたんじゃ、
喉が側が縮む、そうではありません、
顎やその周りがフリーになることが目的

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落とし穴。

落とし穴。

観察しているとき、あることに
陥ってしまっていることに気づけなかったりします。

気づけないとほんとに気づけないんですが、
例えば、手を動かすところを観察しよう、
と、その時に
動かしている手を観察しているのか、
自分が動かしたいように動かしているのを
できているか確認しているだけなのか、が
重なり合っていてわからないんです。

動いているところを観察しているのか、
動かしていることを確認している

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観察の精度。

観察の精度。

刺激が反応を起こさせるきっかけになる。

どういう反応をするのかは
その時の使い方によって決まる。

習慣的なものになるのか、
刺激に反応せず、
意識的にコントロールされた反応を取れるのか。

ここでややこしくなるのが、感じられている
「感覚」は間違っているかもしれない、という事実です。

習慣的なものではない、と感じられていたとしても
その「感じ」というもの自体が
間違っているかもしれないんです

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慎重、丁寧。

慎重、丁寧。

慎重って、
レッスンという時間においては
いらないものと言っていいです。

時間をかけていろいろな検討をして、
それから決定をする。
慎重には、こんなイメージがあります。
これって生徒側からすると、
きちんと考えている、となるでしょう。
でもそれって、教わっている、と言えるでしょうか。

自分のいま持っている判断材料で
検討し、決定している。

自分にはまだないもの、だから
レッスンを受けようと思

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自己判断。

自己判断。

自分で何かを判断できるって
それはもう、
自分が自分の先生だ。

練習の奥義ってものがあるとすれば、
そういうことだと思うんです。

で、何度も言っているあれが
出てくるわけですよ。

できていると思っていること、それが
できていないかもしれない、ってやつです。

感覚的にできている、やれている、と思えたことが
実は全く別のことをしていた、なんてこと
よくあるんですよ、これが。

いろいろな原因が

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「反応」しない。

「反応」しない。

いいことを教えているわけじゃないんです。

身体の上手い使い方、を
わたしは教えていません。

え??って思いましたか?

間違っていることをやめられるように
教えているんです。

間違っていることっていうのは、
あなた自身がやっていることで
専門用語で言うところの
プライマリーコントロールを妨げるもの、
これら全てのことです。

プライマリーコントロールってなに?って、これは
レッスンで時間をか

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自分で考える。

自分で考える。

アレクサンダーレッスンは
行きつ戻りつで少しずつ進んでいきます。

3歩進んで2歩下がるんです。

前回の元に戻るの話。

レッスンでいろいろできるようになった、
うれしい!と思ったら、部屋から出たとたん
できなくなっちゃった。という話。

全部まっさらになったということではないですよ。
安心してください。

戻るところのレベルというか基準というか、
できることは少しづつでも
確実にできるようにな

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自分って、変なやつだ。

自分って、変なやつだ。

あー、これって根深いなあ、と。

練習している。
考えている。
何か進んでいると思いたい。

これらのフリをしていただけだった、という記事です。

自分の中にある、思い込んでいる
正解を自分自身に押し付けていただけだった。

「自分よ自分。こうやって動いてくださいな。」と。
わたし自身に押し付けているだけだった。

なんとごうまんな!

友達のアレクサンダー教師が、
軍隊式と呼んでいたのはこのこと

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