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痺れるほどの孤独

マガジンご購読の皆様、こんばんは。いつもお世話になっております。最近、私が敬愛する将棋の谷川浩司九段の新刊「藤井聡太論 将棋の未来 」を読みました。私のような者の目から見れば、将棋の棋士なんて全員天才で全員エリートですが、そのエリートのなかのエリートとでもいうべき何人かの棋士は、将棋の神様がしっかり見ているという話が出てきます。だから、対局中とか、取材を受けているときだけでなく、いつも、どんな時も、きちんとしている、そういう生き方をしているということです。たぶん、将棋以外にもあてはまることがあるでしょう。近いうちに、そんなことを語ってみたいです。


さて、ちょっと間があいてしまいましたが、過日の連載の続きをどうぞご覧になってください。


4.  痺れるほどの孤独 - わたしたちが孤児だったころ -

カズオ・イシグロが 2000年に発表した小説 When We Were Orphans(わたしたちが孤児だったころ)は、天涯孤独のマインドと現実の接点における種々の歪みや不可解さを主なテーマとしている。少年時代に肉親を失い、寄宿学校や大学の時代、自分一人だけが家族がいないという環境で過ごす経験は、川端康成作品にあらわれる「秋のような寂しさ」に通じるものがあるだろうか。それは、痛みを通り越した無感覚、もしくは強すぎる刺激のみにかろうじて感じとる痺れのようなものだろうか。

主人公 Mr. Christopher Banks は、イギリス人の私立探偵である。Mr.Banks はCambridge 大学を卒業した。いまは London 市内 Kensington に探偵事務所を構えている。

難事件を解決し、探偵として成功している。それだけでなく、大学時代の多くの同級生たちと、その父母が上流社会に身を置いているおかげもあって、Mr.Banks も社交界で名を知られるようになってきている。

Mr. Banks は、少年時代を中国の上海租界で過ごした。当時の中国は軍閥の時代である。両親とともにそこで暮らしていたのである。その頃、日本人の Akira という友人がいた。当時の中国はアヘンが社会問題になっていた。Mr. Banks の母は有名なアヘン反対の活動家であった。ある時、Mr. Banks の父と母がそろって行方不明になった。誘拐されたと考えられていた。そのような経緯があり、Mr. Banks はイギリスの親戚に引き取られたということである。そして、寄宿学校、大学の時代を経て、現在に至っている。

Mr. Banks が、私立探偵になったのは、上海で誘拐された父母を救出するためである。Mr. Banks が、その職業選択を決断したのは、きわめて早い時期のことである。寄宿学校の時代、友人たちが14歳の誕生日に虫眼鏡をプレゼントしてくれた。探偵になるならば、必要だろうということだった。

実は、父母の救出のために私立探偵になるというシナリオは、イギリスの親戚に引き取られる前、まだ上海にいる頃、友人の Akira とともに毎日のようにやっていた、両親を奪還する探偵ごっこの延長である。その続きを、イギリスに移り、大学も卒業して大人になっても、一人でやり続けているというわけである。本人は大まじめなのだろうが、考えてみれば不気味なほど、不自然である。

Mr. Banks は孤児に特別な関心があるようだ。Mr. Banksは、独身であるが、10歳の孤児、Jenniferを養子として引き取っている。

さて、名探偵として知られるようになった Mr. Banks、ついに上海に向かうことになった。その上海では国民党と共産党が戦争している。さらに日本軍が来ている。戦闘状態なのに、しかも、誘拐事件からもう相当の年月が経っているのに、捜索などできるものなのだろうか。そもそも、それは私立探偵のできる仕事なのだろうか。こうした常識的な疑問はまったく眼中にないようで、独自のシナリオが進んでゆく。

明らかにおかしいと思われることであるが、誰もが Mr. Banks の上海行きに大きな期待を熱く語っている。イギリスもヨーロッパも不穏な情勢にあるのは、東洋の一角、上海に原因があるということである。そして、誘拐事件の解決が世界平和の道だというのである。無関係の者からみればありえない荒唐無稽の非常識が、当人たちには現実的な焦眉の大テーマである。

上海は、青幇という当時の中国の秘密結社、もしくは暴力団によって支配されている。アヘン、賭博、売春を主な資金源としている。黄金栄、杜月笙、張嘯林といった青幇の指導者は、当時の上海では知らない人がいないほど有名であった。蔣介石の国民党は、上海にやってくるやいなや、青幇と手を結んだ。

Mr. Banksは、そんな上海にやってきたわけである。そして、父母が幽閉、軟禁されていると思しき場所をついに突き止めた。だが、その地区はすでに戦闘状態になっている。Mr. Banksは、中国の軍隊の将校に支援を要請し、無理にそんなところへ行こうとしている。どう考えても異常であり、狂気の世界である。戦地で丸腰の市民がそんな行動をすることが、そもそも尋常ではない。軍人が協力してくれるというのもあり得ない。それが父母の救出というゴールにつながるとも到底信じられない。

この泥まみれにして血だらけの無残な情景は、少なくとも、Mr.Banks の内面心理そのものであろう。悪い夢を見ているような状況である。目的の建物は物理的にはすぐ近くなのに、歩いても歩いても到達することはできない。銃声が飛び交う、その近くでは大勢の負傷者や死体がある。しかし、自分は撃たれるわけではない。

Mr. Banksは、そのなかに、なぜか Akira がいると信じ込んでいる。負傷した日本人兵を Akiraだと決めつけ、会話を続けるのである。そして、やっと行きついた建物には、当然のことながら、父母はいない。その代わりに、爆撃で亡くなったと思われる中国人の死骸があった。Mr.Banks の行動は、ここでもおかしい。探偵の虫眼鏡で、死骸を見ている。そこへ日本軍がなだれを打って突入してきた。

日本軍によって保護された Mr.Banksは、イギリス領事館で解放された。
引き取ってくれたのは、少年時代から見知っていた Philip おじである。少年時代親しくしてくれ、その当時、お母さんの反アヘン運動を手伝っていたあの懐かしいPhilip おじであった。だが、この男は、実は共産党の二重スパイだった。

父母はアヘン密売の関係者に誘拐され、建物に軟禁されていたといった事実は全くなかった。父は若い女と駆け落ちし、その後亡くなったというのが真相であった。母は、反アヘンの活動で軍閥と対立し、Wang Ku という将軍の顔をたたいて怒らせてしまい、連連れていかれたということだった。そのWang Kuの妾にされ、辱めを受けた。だが、気丈にも Mr. Banks の安全を交換条件として要求したということだった。Mr. Banksのイギリスでの潤沢な生活費も全部が Wang Ku のところから出ていたことがわかった。

こうして、Mr. Banks の探偵としての活動は、何の成果も得られなかったが、まったく異なるところから、まったく異なる筋書きの真相が得られたわけである。Mr. Banks もショックでしょうが、Mr. Banks にすっかり感情移入して、想像の世界で、あぶない中国の戦地を一緒になって駆け巡ってきた読者にとっても、たいへんな衝撃である。

これで物語が終わるかと思うと、終わらない。Mr. Banks は、その後、母とと再会を果たすのである。Wang Kuは死に、その軍隊は蒋介石に解散させられ、さらに共産党がやってきた。母は解放されたものの、精神病の施設に閉じ込められ、その後、香港の施設に移っていた。Mr. Banks は、ついにそこにたどり着いたわけである。ただ、一所懸命、自分が息子だと言うのだが、母には、それがわからないようであった。他方、Mr. Banks は、施設を運営しているシスターたちに自分が息子だとは名乗っていない。Mr. Banks は、養女である Jenniferと一緒に香港に来たのだが、当然、 Jenniferは「なぜ?」と聞く。Mr. Banksの答えは、少々謎めいている。
”I suppose it was much like this question of where she should lie.”(
「どこで永眠するかという問題と結局おなじだから」)というのである。イギリスに引き取って、そこで一生を終えるよりも、このまま香港の施設にいるほうがよいと直感したのでしょうか。いずれにせよ。Mr. Banks は、少年時代から私立探偵になって父母を探すという目的をもってずっと生きてきたことについて、1つの整理がついたということである。

不思議な小説の最後は、Mr. Banks が自分の将来を考え始める場面である。思えば、この本のタイトルは「わたしたちが孤児だったころ」だった。「わたしたち」と複数になっているが、もちろん、その重要な一人は Mr. Banks 自身であろう。では「孤児だったころ」とはいつのことだろうか。両親と別れたのは10才のときである。イギリスのBoadring school や大学の時代は、ほかの友人と比較して、両親がいない、孤児である自分を自覚した時期であったかもしれない。だが、探偵として生き、上海で捜索をするために過ごしたあらゆる時間のすべては、この文脈では、孤児のマインドであっただろう。だから、この小説の最後の最後までが、「孤児だったころ」ということになる。それがようやく終わるということだろうか。

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