話し合う②

「不戦条約」ってありますよね
1928年にパリにおいて米仏日など一五か国の間で締結した条約です
国際紛争において<武力>を用いないって事です。
日本国憲法九条はここからそのまんま引っ張ってきてます。

前回の記事でも記載しましたが、
1648年(30年戦争終了時)にウェストファリア会議にて
「殺し合いよりも話し合いで解決しましょうや」っていう視点がでてきました。
国際法の父「グロティウス先生」です。
やるにしても
「宣戦布告をしよう。だまし討ちとかやめよな」とか
「虐殺とかはあかんで」とか
「決闘制度にしよか」とかね

あれから280年後に国際法として誕生する「不戦条約」です。

さて、みなさんは民事紛争が発生した場合は「決闘」してますか?
旦那や妻との喧嘩・浮気・金銭トラブルというような人間関係トラブルにおいて
いつ、どこで、何名規模で、何を使用して、殺し合います。
と宣言して、実戦してますか?
してるなら教えてくださいね(^^♪

そう、昔はずっと<武力>による殺し合いの歴史なんですよ。まさに弱肉強食。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
志々雄 真実(るろうに剣心)的世界です。

しかし、
20世紀初期にもなるとさすがに
「武力」以外で何とか解決できひんやろか?ってのを本気で考えだすんですよね。

そう。国際司法裁判所は大事な視点です。

常設の国際裁判所の必要性は古くから認識されており
1899年と1907年の
万国平和会議においてはこの創設が議題に上がってました。
オランダのハーグで開かれた国際会議です。
「まじで殺し合いとかやめようや」って話です。

*ちなみに!僕の記事を読んでいる方は気づいたと思うのですが、なぜオランダのハーグなのか?です。
それは国際法の父であるグロティウス(殺し合いよりも話し合いが重宝されるきっかけを1648年に創造した人)さんがオランダにいらっしゃったからです。よって敬意を表して、オランダが選ばれているのです*

しかし2回にわたる会議でも、合意には至らなかったんですよ。
今の感覚で考えている人は
「殺しあうよりも話し合いで解決する」なんて当たり前と思考するでしょうが、
時代が変わればマスはパラダイム(モノの見方)が違うのですよ(';')
武力をもって制するってのが当たり前ですし、軍需産業は儲かりまくるしね。
話し合い??? アホか!(笑) ってくらいのもんです。
人間の常識はね、簡単に変わるのですよ。

例)昔はレズもゲイの事も性的倒錯として差別して「異常者」や「病気」の位置にあったかと思えば、昨今は多様性とか言い出してLGBTQを認めていこうとか言い出したんですよ。
今はDSMでもICDでも病気に欄から同性愛が消えています。
あれだけボロクソに差別しておきながら、
時代が変われば180度平気で思想を変えるのが人間です(^^♪ 

そんなもんなんですよ、人間ってのは^^)

その後、
1914-1918年に<話し合いの真逆>である第一次世界大戦が発生します。

話し合いどころやないがな!!( ´` )

そして、ついに
第一次世界大戦終結後に結成された国際連盟の機関として
常設の国際裁判所の設立が決定される事となり
1921年に常設国際司法裁判所(PCIJ) がオランダのハーグに設置されたという流れなのです。
ほんま、、やっとやね。

で、その流れから7年後。。。

冒頭で紹介したように1928年に「不戦条約」が完成するわけです。

みなさんが揉めた時には
今では当たり前のように
警察がいて、検察がいて、裁判所があって、
殺し合うのではなくて、話し合うというのが制度として存在してますよね。

それは当たり前ではなくて
長い長い歴史の中で、幾度も失敗を経て
それでも失敗して、経て、経て、経て
今があるんですよね。

しかし国際連盟も不戦条約も
結局は1939年からはじまる第二次世界大戦を止める事はできなかったんですがね。

それでもですよ。
国際法から万国平和会議から国際司法裁判所から国際連盟から
なんとか、なんとか、なんとか、
殺し合いよりも話し合い
を謳い続けて、命がけで走った先達のおかげで今があるんですよね。

ということでね
この記事を読むみなさんは
是非!
人とは揉めずに、喧嘩せずに、恨まずに、妬まずに、嫉妬せずに、暴力は使わずに
冷静に、話し合って解決していきましょう。

暴力ってのは
言葉であろうが、身体的であろうが
使った側の完全敗北と言えるでしょう。

怒るとか、キレるってのもやめましょうね(^^)

僕のナマケモノやカピバラの記事を読んでください(^^)

怒ってる人間は
とにかく見苦しい






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