見出し画像

#23『リラクシン』

深呼吸、リラックス、深呼吸、リラックス

明日のプレゼン、来週の待ち合わせ、人生を棒に振るような来年の決断、一生付きまとうぼんやりとした不安、それらにまつわる今日の焦燥感。

深呼吸、リラックス、深呼吸、リラックス

検索エンジンに連ねた淡い期待、「緊張した時の対処法」。


1に呼吸、2に呼吸、3に呼吸。

正しい腹式呼吸で副交感神経を優位にしてリラックス。

深呼吸、リラックス、深呼吸、リラックス


サウナが効果的と言われれば週に何度も通い、ランニングが効果的と言われれば気狂いのようにゲロを吐くまで走り、私は努力家、私はストイックな見栄っ張り。

それなのにいざ本番がやってくると、受け売りの知識を遥かに上回る怪物みたいな緊張に襲われて、手足はガタガタ、呼吸は乱れ、言葉はえーっとえーっと、挙句暴力的な言葉責めに打ちのめされ、泣きたくないのにどろどろの眼球。

使い古した勇気だって、何度目の朝でも楽にはしてくれない。
僕らが諦めた末に腰を下ろす社会では、自動で迫る憂鬱に対して頭から突っ込む義務があるから。

例えば階段を上って下りる、それを何万回と繰り返す、そこに感情はない、感情などあるわけが無い。
例えば愛していると口にする、それを何万回と繰り返す、そこに感情はない、されど疑う余地もない。
あるいは、君がコンビニで買える甘いやつを飲んでいる間に大勢の人が死んでいる、なんてことは考えない、考えると生きづらくなる。
効率的な人生設計、僕らは都合の悪いことにはしらを切る。
そして社会から無理強いされる憂鬱に頭から突っ込み、意思も目的も失った夢の自動生産ラインになるために努力する。
人はアメリカン・ニューシネマから何ひとつ学んでいない、ジャック・ニコルソンの痛々しく見開いた瞳を目の前にしても心は血を流さない。

権利など持っちゃいない、義務のみが存在する。
だから今日も明日も明後日も来年も、一生繰り返す。

深呼吸、リラックス、深呼吸、リラックス

そして情けない帰り道にイヤフォンから、やり切れない部屋の中でレコードプレーヤーから、ハイロウズのリラクシンというアルバムが情けない僕に情けをかけるわけでもなく、いつもと何ひとつ変わらないまま歌ってくれる。

僕らがハイロウズというバンドのレコードを楽しめるのは、ブルーハーツが世間的にヒットしたからだ。
80年代の第二次バンドブーム、誰もがそれなりに音楽シーンで息をしていた、にわかに信じ難い不思議な時代に、彼らは世の中にヒット曲をたくさん送り出した。

ただこれだけは言っておくが、バンドブーム自体はクソだ。
バブル突入で潤っていた時代の音楽なんてクソ以外の何物でもない。
ブルーハーツは何重にもひねくれた頭の良い連中だから、バブル期のアホ面をかましたあっち側の連中とそれに相容れないこっち側の自分たち、という対立構造を文学的に、かつロックンロールが本来楽しい音楽であるという文脈を切り捨てずに表現する優しいバンドだった。

ロックンロールは常に対立構造によって進化してきた音楽だし、ブルーハーツは文学的にそういうことを表現出来るウィットに富んだ若者だったと思う。

世の中が潤っている時期はロックバンドすらあっち側の面をして人気をかっさらうから面白くない。
基本的にバンドがブームになること自体、あっち側の面をした連中が大金を持って音楽業界に介入してくることに他ならない。
じゃなきゃバンドブームなんて到来しない、マジでクソ。

国は違えど90年代のブリットポップも政府が総力を挙げて膨らませたムーブメントらしく、"イギリスのロック"っぽい音楽を鳴らすバンドが次々に現れた。
その大半がまがい物だったとあえて言おう。
あっち側の面をした連中は保守的だから、革新的な音楽を生み出すつもりがない。
過去の成功した革新を引用して、夢の自動生産ラインで量産し、ある程度利益が出たらブームが終わる前に手を引く、賢い、効率的なビジネスプラン。
つまり、かつての革新は保守のアイテムになる、だ。
その末路がメンズウェアみたいなバンドだろう、実力も才能も無いくせに無理やり売り出されて時代と共に消えた悲しいバンドの代名詞。
もう一度言う、かつての革新は保守のアイテムになる、だ。

改めてムーブメントがクソだと確認したわけだが、ブルーハーツがヒットしたのは少なからずバンドブームの恩恵でもあるので、そういう意味ではクソみたいなブームをありがとう。

ブームに便乗せず革新的なことをやった人達は40年後の今でもカルト的な人気を博すし、いつの時代の若者にも影響を与える。
誰が今の時代にジュンスカみたいなダセーバンドを聴くんだよ。
つまりは、そういうことだ。

みんないつまでたってもブルーハーツが大好きだ。
ブルーハーツなんて玩具を与えられたら何時間だって遊んでいられる。
だけど、ハイロウズにはハイロウズにしかない魅力がある。

ブルーハーツは先に挙げた通り、世間との対立的な姿勢がかなり強い。
大抵の連中は、初期のブルーハーツはメッセージ性が強いが、中期以降薄れてしまうと話す。
しかし、あえて深読みするなら中期のアルバムは、まさにそういう浅はかな連中が持つ勝手なイメージと自分たちがやりたいことの対立が色濃く現れている。
急にブルース色が強くなり、こんな曲誰が求めているんだ、という内容のアルバムに変化したのはつまり対抗、ロックンロールは世間に対する裏切りの連続だ。
こんなふうに常に密やかに抗い、変化し続けた音楽性こそがブルーハーツの魅力だと思う。
彼らの10年間は非常にドラマチックで切なくてデタラメで大真面目だ。

それに比べてハイロウズは自由そのもの。
過去にヒット曲を生み出したバンドの特権、ハイロウズはどんなアルバムを作ろうが、もう誰にも批難されることが無い、ファンは彼らの生み出す音楽ならなんだって欲しくてたまらない。
ある意味彼らの本質的なユーモアを1番堪能できるのがハイロウズではないだろうか。

昨日はバームクーヘンを聴きながら書いていたわけだが、次は当然リラクシン。

このアルバムはその名の通り、角が取れた柔らかくて心地のいい作品だ。
前作のバームクーヘンはセルフプロデュースかつ、攻撃的なユーモアとサウンドで、彼らのキャリア史上最もパンクなアルバムとしてファンの間で人気が高い。
その次にリリースされたリラクシンは、一転してモータウンビートやバラードが際立ち、マーシーの詩人としての才能が気取った態度もなく素朴に収録されている作品だ。
個人的には、ブルーハーツの「DUG OUT」で魅せた詩的で素朴な魅力が再び堪能出来る可愛らしいアルバムなので、好きで好きで仕方がない。
好きで好きで仕方がないリラクシン、昨日はバームクーヘンが好きで好きで仕方なかった、きっと次書く時にはアレが好きで好きでたまらない。
今度のがナンバーワン、常そう、いつだって今が1番素晴らしい、彼らの美学、生き方を選ぶ時はBGM!

だから今日はリラクシンの好きなところを鬱陶しいくらい書きまくると決めたのだ。

まず手始めに、アルバム1曲目の「青春」についてだが、これはとあるドラマの主題歌に、


....

クソ、明日の打ち合わせでプレゼンをしなければいけないことを急に思い出してしまった。

向き合わなければいけないクソみたいなことが多すぎる。
せっかくハイロウズについてあと4万字くらい書こうと思っていたのに。

自動で迫る憂鬱に対しては頭から突っ込む義務がある。
嫌だと思うことを嫌だと思いながら、それが自動的にやってくるのを止められずに僕は嫌な気持ちになり続ける、明日も明後日も来年も再来年も。

明日はプレゼン
明日はプレゼン
明日はプレゼン

交感神経になんか負けるな、副交感神経。

深呼吸、リラックス、深呼吸、リラックス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?