Kさんへ たまたま、三島邦弘さんという方のインタビュー記事を読んだことから、「ちゃぶ台」というとても特色のある雑誌と出会いました。まだいくつかの記事しか読めていませんが、どの記事も深い考察をされているように感じます。年末年始の暇つぶしに、バックナンバーもいくつか注文しました。 そこで、平川克美さんという方のコラムを本日読み、とても納得を得ました。 「人は、自ら意思して変われない。自然人としての自分を変えることはできない。生き延びるために、止むを得ず変わっていくのだと思う
Kさんへ 少し前に、仏教の悟りについて会話していたことがあります。「感情がなくなっていきそう」と言う人がいて、少し考えてしまいました。豊かな人生を目指すためと昔から作られた思想が、逆に感情を殺しつまらない人生になる。本当でしょうか。 感情がなくなる、というより日常に色彩があると思うのですが、どうなんだろうな、と。それで『悟りってどんな状態?』という記事を読んでみました。 確かに、「外部刺激に対する反応の変化」という項目で、何かが起きたときに、冷静に受け止められるから、反
Kさんへ この前、二十歳前後の男性と話をしていました。私も少しわかるのですが、食や生活の根底に、コストパフォーマンスを求めていました。 コストパフォーマンスというのは、非常にわかりやすい指標です。何かを行うに当たって必要な費用とその対価を基準に判断していく。食事であれば、費用と栄養なんて、ロボットみたいな合理的な基準になります。 その男性は、コストを抑えるために、食事も抑えて、とても痩せていました。また、運動もしない。ゲームや即席的に興奮できる遊びに時間を費やし、睡眠に
Kさんへ 生きていく上で、どこかでメンタルケアをしといたほうが良いタイミングというのが絶対にある、と思います。そんなとき様々な哲学、宗教、自己啓発、心理学の本に手を出す人もいるでしょう。私も手を出しました。 色々な本を読めば読むほど、大局で言っていることは似通ってきます。で、ある時気づきました。どうも、森田療法という日本で生み出された古い心理療法の考え方がとても良いようです。 仏教的な変化を受け入れる受容の考え、認知行動療法のような体験を通じた認知の変化、感情を受け入れ
Kさんへ 私が昔、なんとなく感銘を受けた言葉があります。 なるようになる、若しくは、なるようにしかならない この言葉です。ある会社の経営者が言っていたのですが、元々が誰の言葉か知りません。 肩に力が入って右往左往して上手くいかない時って、だいたい色んなことをなんとかしようと思っていますよね。なんとかしたいって気持ちが自分、それで上手くいかないことに苛立つのも自分、焦る自分、努力する自分、疲れる自分。 色んな自分を経験しながら、結局はなるようにしかならない、と受け入れ
Kさんへ 少し前にヴィクトール・フランクルの本を読んでから、ユーモアについて少し考えています。心の状況を問わず、人生はユーモアで乗り切る、というのはあるのかもしれないと思っています。 先日、私に対して嫌味を言ってきた方がいます。詳細は省きますが、私は最初とても苛立ってしまいました。その嫌味は聞かなかったことにして、忘れようとしていました。ただ、ふと、もし私にユーモアがあったら、嫌味に対して和やかになる返しができるのかもしれない。そう思って、ユーモアの練習をしなくちゃ、とふ
Kさんへ ここ数年でしょうか。普通という言葉の意味がよくわからなくなりました。 というのは、普通とは具体的に何を指しているのか、というと意外とあやふやなことが多いのです。ある人は「多数、マジョリティのこと。多数が正しいし」と言いました。 それはまあ、統計的な意味合いでいえばそうですね。 でも、私は私自身に統計的な情報が全て当てはまるわけではないことを思い出します。常に多数の人が支持する方向へ人生が向かうのであれば、私もあなたもきっと、ここでこうしてはいません。 大学
Kさんへ 先日、たまたま気にかかって『王様のレストラン』というドラマを観ました。調べたら1995年という、とても昔に作られた作品でした。以前、再放送でしょうか、観た記憶はあったのですが。 ユーモアがあって、ハートフルな、そういう映像が観たかっただけなんですが、とても癒されました。 なんというか、登場人物が皆、社会人としてはどこか抜けているのに個性的で魅力的なんです。私たちは心のどこかで、キッチリカッチリできている人が魅力的だと勘違いしている気がします。 「オレをよ、た
Kさんへ 鬱、というとどうしても、なってはいけないものという風潮が出てきていますね。うつ病になったら、治すことという認識にもなります。でも、鬱々とした気持ちというのは、誰もが感じる時期があります。 私たちは、そういった鬱々とした状態を悪いものと捉え、遠ざけようとして、逆にハマってしまう人を増やしていることがあります。病気と健常の境目を作り、治る治らないという概念を作ることもまた、うつというものを特別視しすぎな気がしています。 オンとオフをしっかり切り替える/心と体を休め
Kさんへ 私も「やりたいことはなんなの?」と聞かれることがあります。 最近の「やりたいことをやって生きよう」という言い方は、少し違和感を覚えています。人にはいろんな状況があります。どんな状況でも「やりたいこと」というなにか幻想的なものがあると錯覚する言い方は、同調圧力の強い日本のような国では、脅迫的な力を持つ気がしています。 もちろん、内的動機づけという意味で、自分の中で自分を鼓舞する動機というのが「やりたいこと」だとすると、それを見つけないと前に進めないような、そうい
Kさんへ 新宿を歩いていたら、大きな街頭ビジョンにback numberのライブ映像が流れていました。歌っていたのは『スーパースターになったら』という曲。知っていますか? 歌詞を眺めるだけでもわかるけど、優柔不断で口だけの男がスーパースターになったら君に会いにいく、ということを歌っています。自信がない自分への言い訳をスーパースターになったら、と歌うのはとても悲哀を感じます。 この曲を聴いていたら、スーパースターになっても、きっと何も変わらないだろうなって思いました。
Kさんへ 私たちは、極端な思想や宗教の怖さを知ってしまったがために、神や仏といった人間を超越した存在を信じることをやめました。それ自体の良し悪しはないと思っています。ただ、上手く、神を利用してもいいと思うのです。 人種を問わず、古今東西あらゆるところで信仰というものがあったのはなぜなのか。それすらも忘れてしまってはいけないですよね。 元々、宗教とは集団をまとめ、規律を正す道徳的な思想を広めるために編み出されてきたように思います。現在の倫理的、道徳的だとされる事柄のほとん
Kさんへ 少し前、私はもし両親が他界をしたらと考え始めて、少しパニックになりました。遅かれ早かれ、その時が来るということに悲しさと寂しさが止まらなくなったのです。 そんな時、とても変なアニメーションを勧められてみてみました。『ミッドナイト・ゴスペル』というNetflixで配信されているタイトル。観る瞑想、観るドラッグなんていう人もいるようです。 内容の大部分はPodcast(ネットラジオ)として収録されたインタビューを独特なアニメと合わせていて、喋っている内容と映像がマ
Kさんへ 私は、自分の得意なことははなんだろうと考えていた時期があります。 「やりたいことはなに?」と問われても答えが出ないけど、「できることはなに?」には答えられるような気がしたから。 でも、いつも人と比較してしまって。写真を撮るのが好きだけど、本当に好きな人には勝てないし。映画や本や漫画が好きだけど、知識量がすごいわけじゃないし。 なにもできないなって思っていた時に見たドラマがあったんです。 そのドラマで言っていたセリフに泣いてしまいました。 「誰でもできること
Kさんへ 私は今日、朝のマクドナルドで街の喧騒を見ながら、この文章を書いています。 人生の意味を少し考えたり。同じような悩みを抱えている人に、悩むことが悪いことだと思わないようにしていきましょうって話したり。 私たちは頭が良すぎるのかもしれませんね。 悩むより行動することが重要だと理解しているせいで、より深く悩みが頭から離れなくなったりします。悩みたくないと悩むという滑稽な姿ですね。悩む時間も悪くないのに。 そういえば、「自己肯定感がない」と悩んでいる人の話を聞いた
Kさんへ この話は、上手く言葉にできるか自信がありません。それでも書いてみます。少し前、いい機会なのでヴィクトール・フランクルの『夜と霧』『それでも人生にイエスと言う』の2冊を読みました。 いい機会というのは、人生の意味にずっと悩んでいたから、です。 いろんな物事に翻弄され、楽しく生活しているときには全く考えないことですよね。でも、考えだすと「人生に意味はない」以外の答えが出ないんです。 著名な人でも「人生に意味はない」「考えても悩むだけの問い」なんて言う人もいて、そ