日常に笑いを
Kさんへ
少し前にヴィクトール・フランクルの本を読んでから、ユーモアについて少し考えています。心の状況を問わず、人生はユーモアで乗り切る、というのはあるのかもしれないと思っています。
先日、私に対して嫌味を言ってきた方がいます。詳細は省きますが、私は最初とても苛立ってしまいました。その嫌味は聞かなかったことにして、忘れようとしていました。ただ、ふと、もし私にユーモアがあったら、嫌味に対して和やかになる返しができるのかもしれない。そう思って、ユーモアの練習をしなくちゃ、とふと思い立ちました。
日本語のユーモア、といえば、落語ですよね(他に思いつきませんでした)。
そう思って、落語を学ぼうと思ったんですが、なかなか落語の学びやすい流れというのものが掴めないでいます。好きな方に聞いてみれば、「誰々を聴け」とか「これこれは落語と呼びたくない」とかあるべき論を振りかざす人もいて、それはそれで粋ではないなと。
『落ちがある話で笑えるなら、それが落語の楽しみ方だよ、てやんでぇ』ぐらいの言い方で教えてもらいたいです。江戸っ子のイメージです。
「常識人が、うっかりとまじめにばかばかしいことをするのが笑いである。」
- 桂米朝 (3代目) -
私たちは、少し真面目が過ぎるかなって思うんです。でもそういう真面目な人が、うっかりと間を抜く、つまり間抜けになれれば、それが笑いでユーモアなのかもしれません。
日常に笑いを、という人が仕事や家庭で、間抜けな人を笑えないのはなんだかそれ自体が喜劇。
日常に笑いを。つまり、間抜けになって、笑いましょう。上手くいかないことを笑いに。
それでは。
切手に