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鬱は大人のたしなみですよ

Kさんへ

鬱、というとどうしても、なってはいけないものという風潮が出てきていますね。うつ病になったら、治すことという認識にもなります。でも、鬱々とした気持ちというのは、誰もが感じる時期があります。

私たちは、そういった鬱々とした状態を悪いものと捉え、遠ざけようとして、逆にハマってしまう人を増やしていることがあります。病気と健常の境目を作り、治る治らないという概念を作ることもまた、うつというものを特別視しすぎな気がしています。

オンとオフをしっかり切り替える/心と体を休める/仕事の事を考えすぎない/焦らない/責任感を強めない/プレッシャーを真に受けない/他人は変えられない/失敗していい/他人に迷惑かけていい/肩の力を抜いて/遊ぶ/過去や未来を考えない/目の前のことに集中する

鬱々している時、こういう良い言葉が、逆に脅迫的な力を持って、自分を責める言葉になることもあります。特に強く落ち込んでいる時。「わかっているけど上手くできない自分はダメだ」という。

鬱々とする人は、だいたい「どうあるべきか」は分かっていて、でもそのあるべき姿になれない自分にすら疲れてしまうのです。

私はそんな時こんな言葉を思い出します。

「鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと、俺は友達になりたくないから。」
- リリー・フランキー -

私たちが鬱々とする、というのは強い理想やこだわり、よく生きたいという欲求、そういう前を向いている心と現実のギャップです。厭世感(えんせいかん)という古来よりある言葉も、同じようなものを指していますね。それ自体は、真剣に生きていれば訪れていいものです。そういう感性を持って生きているというのは素敵なことだと思うのです。

鬱々とした気持ちは無理に遠ざけるものでも、それから逃げるものでもない。少しずつ、現実との折り合いを試していけばいいと思います。少し止まって、また進む、で。

それでは。

参考:吉田豪『サブカル スーパースター鬱伝

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