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神頼みの良さについて

Kさんへ

私たちは、極端な思想や宗教の怖さを知ってしまったがために、神や仏といった人間を超越した存在を信じることをやめました。それ自体の良し悪しはないと思っています。ただ、上手く、神を利用してもいいと思うのです。

人種を問わず、古今東西あらゆるところで信仰というものがあったのはなぜなのか。それすらも忘れてしまってはいけないですよね。

元々、宗教とは集団をまとめ、規律を正す道徳的な思想を広めるために編み出されてきたように思います。現在の倫理的、道徳的だとされる事柄のほとんどは聖書や宗教から生まれてきたはずです。

ただ、それだけで信仰というものが広まるはずもありません。

信仰心とは、過去の後悔や未来への憂慮、つまり不安定な心の支えとするために広まりました。上手くいかないことに対して、私たちは支えが必要なのです。日本は自然災害の影響でしょうか、自然を神として崇めている神社が非常に多いようです。

自分ではどうしようもない領域を、神と呼んで、その神に頼んでしまう。

私は、そういう精神的な切り離しが非常に重要だと思っています。人生を自分で切り開く、というのはとても重要です。ただ、運としか言いようのない瞬間があるのも事実です。どう転んでも、上手くいかないという時です。

上手くいかないことで自分を責め、苦しんでしまうようなら、その時は神にすがってください。上手くいかないのは、神のせいです。気持ちの面では、神のせいにしましょう。

私たちの遠い先祖、いや近い先祖すら、そうしてなんとか生きて、命を繋げてきたのです。

神がいるかいないか、そういう議論に興味はないですが、たまには神に祈るのも良いと私は思っています。

それでは。

切手に