自分の弱さとの向き合い方
最近、友人の相談に乗っているときに思った。
人から必要とされることって意外と悪くないと。
私自身すごくネガティブで、一定の信頼を置いた人にしか心がひらけない。
その理由をじっくりと考えてみると「傷つきたくない」からだ。
昔から何事も完璧に正義感を持ってやらなければいけないという感情に支配されてきた幼少期を過ごしてきた。だから私は小6くらいから意識が高かったと思う。
自分の家が貧乏だったこともあり、服装は人から清潔感があり、安くて高く見える服を選ぶようになったのもそれがきっかけだ。とにかく普通に憧れたし、同世代の子よりは何倍も背伸びをしていたと思う。
しかし、一定の集団の人たちと関係性を深めなければいけない場面は苦手だ。特に組織で物事を進めるとき人とのモチベーションの違いを理解したり、自分の思い通りに行かないことがあるとすごく煩わしさを感じるし、どうしてそんなことも自分でできないのかと、人に期待をしすぎる傾向もある。
今となっては「まあ、いいか〜」と思えることや、他人と自分を切り分けて考えるようになったので、だいぶ楽になったが、本当に自分にも人にも期待をしすぎる性格であったと思う。
特にそれは恋愛面にもでる。本音を言えない、本心を言えない、自分が我慢すれば相手は変わってくれると思っていた。
しかし、他人はそんなに簡単には変わらないのだ。
大好きな「わたし、定時で帰ります。」というドラマで、主演の吉高ゆり子が口にしていたが、「人に期待をしすぎて潰してしまうほど傲慢なことはない。そして、簡単に人は変われないし、他人を変えることはできない」と。
この事実は、みんなが知っていることなんだけど
何十年も何世代前の人たちもきっと人間関係の課題に思っていた内容ではないかと思う。
依存は時に人の心を救うときがある。でも、依存される側は圧倒的な精神的余裕がないとその関係性は成り立たず、すぐに関係性を崩してしまうほどの脅威を持っている。
特に、その相手に対して興味や関心がない状態で依存されることは非常に苦痛である。
なぜなら人間は生きてるだけでたくさんの悩みや不安と隣り合わせに生きているからだ。
自分のことだけでも精一杯だし、普通に生きていれば仙人やマザーテレサでない限りそんな余裕はないはずだ。
他人に親切にできるほど心に余裕はない。
一方で、そんな相手の話を聞いている中で、自分の内なる感情が浄化される瞬間がある。
いわゆる、自分が覚えたことを人に教えている時に知識が定着するのと同じ現象だ。
人間は、第三者的な視点で物事をみるときは冷静に判断が下せる。一方で自分のこと、特に人間関係の面で判断をくだす時は、当たり前だがめちゃくちゃ自分に甘い。
特に、タチが悪いのは私のように自分に厳しいタイプの人間だ。
自分に厳しい分、相手にも同じレベルの苦行を求める。
だから結果その期待に相手が答えてくれず、自分も失望。その結果、その人の中で自分の優先順位は低いとか、自分は必要とされていないとか、予期せぬ方向にどんどん自分を追い込んでしまう。きっとこれが真面目な人たちが鬱になってしまう元凶なのかもしれない。
私も20代前半のころ、人との距離の掴み方や自己開示の仕方、人への頼り方がわからなくて同じようなループになんども苦しんだことはあるが、今になってだいぶ自分を呪うことは少なくなった気がする。
今までは、自分の弱さを認めるとか、自分を愛するとか本当にどうしたらいいんだろうと、悩みや考えを巡らせることが多かったが、今回、私に依存をしてくれている子の相談を聞いている中で、その長年の迷宮を抜け出す糸口が見つかった。
自分に期待をしすぎないこと、人に期待をしすぎないことは、結果的に自分を楽にする。
きっと平成の有識者達が口を揃えて「人には期待するな、人はそんなに簡単に変われない」と口を酸っぱくいうように、結果、自分に呪いをかけるタイプの熟考は、体にもメンタルにもよくない。
だから、とにかく負の感情を書き出すとか、とにかく体を動かすなど受取手のいないストレス発散方法を習得することが、自分の弱さとの向き合い方に適していると気づくことができた。
適度な人との距離感と適度なストレス発散方法を見いだすことは自分のQOLを非常に向上してくれる。
そして、強靭なメンタルを作りたいとは思わないが、一日一日を少しだけ楽しく、少しだけラクに生きることは、継続できる気がするから、自分のご機嫌を取る方法をもう少し探してみようと思った。
私も大人になったな〜。(褒)
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