世界史の分岐点。なぜ近現代史は戦争ばかりになったのか?
私は、世界史が専門というわけでは、まったくないのですが、戦争ばかりになった近現代世界史の分岐点となったポイントを自分なりに指摘してみたいと思います。
それは、1861年に発足した清朝の「総理各国事務衙門(がもん)」の創設である。中国では、「中華思想」という考え方から、外国である世界各国と儀礼関係を要求するのが常であった。さらに、それが、廃止され、1901年に「外務部」と改称されたのである。
1861年に発足した清朝の「総理各国事務衙門」は、礼部と理藩院に代わって、外交を管轄した。そこから、日清戦争を皮切りに、戦争ばかりになったと思っています。戦争によって、経済と国際関係と国家を確立できるという中国側の度量の大きい、懐の深い見通しもあったのかしれませんが、そこから、国際関係は苛烈になり、勝てるわけのない戦争スキームで戦わされた日本の太平洋戦争と広島・長崎への原爆投下につながったと私は思っています。
私は、清朝の「総理各国事務衙門(がもん)」以前の状態に、外交と国際関係を戻す、もっと簡単に言うと中国に公式に気を遣う、もっと言うと、上司である中国のご機嫌を損なわないようにするのが、世界平和につながると考えています。加えて、同時に、各国国内での学問の興隆と国同士での学問の交流が、必要だと私は思っています。学問というのは、戦争よりも高尚なネタになりますし、わかりやすく説明してくれる人や出版社の努力でわかりやすい本があれば、勉強や学問が嫌いな人にも、アプローチできると思っているからです。
「衙門(がもん)」と呼称する役所、現代社会では必須だと思われる官僚制の存在が、国際関係を苛烈なものにしたと考えています。歴代中国王朝の外交手法の一変が、世界を苦しめたのではないかと私は考えています。
清朝の「総理各国事務衙門(がもん)」について、テレビやラジオや新聞がまったく触れないのは残念だなと私は思っています。