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私が自傷行為をするときの思考回路

いつになく、さみしい。

いつもさみしいが、今日は一段とさみしさが心を占めている。

周りが社会人になり、結婚し、どんどん大人になっていく。私だけが置いていかれているような気がする。私はいつまでこんなくだらないことで悩んでいるんだろう。周りの人たちは辛いことがあっても悲しいことがあっても、それをすぐに切り替えて毎日をこなしているように見えてしまう。みんな、色んなもの抱えてて隠しているだけって頭ではわかっていても。

私は恋愛が上手くいかない。恋愛が上手くいく方が珍しいんだと思うけど。いつも距離感間違えてしまう。上手くいかないなあ。これも経験と思え、なんだろう。

仕事でも、本当に自分のやりたいことってなんだろうって常に考えていて、答えはすぐには出ないこともわかっている。いつか、わかる日が来ると信じ続ける。でも、それがちょっと辛い時もある。なにか一つを信じ続けてガムシャラな時は、周りの人生なんかどうでもよくって、誰が結婚したとか、他人の愚痴なんてどうでもよかった。でも今の私は、周りなんてどうでもいいなんて思えない。周りの目や、世間体が常に頭に付き纏っている。ああ、今は信じるものを見失っている時期なんだな。

もし過去の自分が今のこの気持ちを抱えていたら、自己嫌悪に陥ってきっと自分で自分の体に沢山の傷をつけていたと思う。でも、今は「まあいいか」とほんの少し思えるようになって、傷の数や、頻度はかなり減ってきた。エネルギーの方向転換が出来るようになってきたんだと思う。たぶん。


自傷行為はつらい。私はやっぱり今でも、自分で自分の頭や体を殴ってしまう時があるし、もっと前にはカッターで腕や手首を切ってしまっていた。心が苦しくて、何もできない自分がのうのうと生きているのが悔しくて、『もっと、もっと、もっと、どうして、こんなんじゃだめだ、こんな自分生きてちゃダメなんだ、苦しめもっと苦しみを感じて、悔しさとして受け止めて、そうすればそれがバネになるんだ、私はもっとやれるんだから、』なんて思いが繰り返されていた。どんどん追い詰めて、「ああ、もうわからない」そう思う自分の意識と無意識の間で私は切ったり殴ったり行動に移ってしまう。その瞬間には痛みや苦しみの感覚が麻痺していて全く痛くない。部屋の壁を殴って穴を開けてしまったこともある。冷静なときに、例えば今とか、部屋の壁に触るとかなり硬い。硬くて、軽く手のひらで叩くだけでも手が痛い。壁に穴を開けるにはかなりの力が必要そうだなと思う壁に、怒った私は痛みも感じず、大きな力も必要とせずにボコっと穴を開けてしまう。怒り狂い泣きじゃくっている時の私は痛みを感じない。むしろ、なにか快感のようなものを感じている。しかし、その時の記憶はいつも曖昧だ。泣き疲れてふと、「あれ、なんで泣いていたんだっけ」なんて思った時に手のひらに痛みが湧いてくる。じわじわと、どうしてこんなになるまで?止まれなかったの?


その繰り返し。


楽しいこと辛いこと。

あるものとないもの。

生きることも死ぬことも。

人生ないものねだり。

苦しみさえも、力になると信じ続ける。

肉うどん食べに行きたいと思います…🌞