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01.自己紹介!青森からアフリカへ、そして東京にやってきて奮闘する津軽衆。

初めまして、山田廣輝です!
青森県出身の田舎者が、アフリカ生活を経て東京で奮闘している備忘録。
インプット、アウトプットを通じて情報発信や、気付き学び、東京生活のあれこれを発信していきます。

僕のNoteを書く目的は、大きく3つです。

・自分の経験や体験の情報発信
・文章力向上
・備忘録

自分のためでもあり、自分の経験や体験が誰かのためになるなら、形に残していきたい!という思いでNoteを書いていきます!

それではさっそく僕の簡単な自己紹介から。


◆出身は津軽弁とリンゴで有名な青森県

タイトルにもあるようにりんごで有名な青森県です。
青森の中でも津軽の出身で、よく理解ができないことで有名な津軽弁を巧みに扱います。

ちなみに、津軽弁で自己紹介すると

わのなは、山田廣輝だ。
(私)の(名前)は、山田廣輝です
となります。

意外と普通だと思いませんか。
そんな田舎者も今では東京に住み、標準語歴が長くなって津軽弁を忘れそうになる位です。

ちなみに僕は以下の言葉を使えます。

・津軽弁
・標準語
・英語
・アムハラ語(エチオピアの母国語)

これはクワトロリンガル、といってもよいのかわかりませんが、クセが強い言葉を使います。そんな僕のクセだらけの人生の核となる、2大トピックついて話していきます。

◆中学から始めたバドミントン

中学1年生から初めて、大学まで体育会系の部活でバドミントンをプレーしていました。

本当はテニスの王子様にあこがれて、テニスをやりたかったのですが、重度の花粉症のため屋外スポーツは断念しました。バドミントンの出会いは、たまたま親の知り合いがやってたというだけです。それでも見学したら同じラケット競技だし面白そうだなと思ったことがきっかけで、バドミントンの道へと進みました。

小さいことから外を駆けずり回って遊んでいたので、体力もあるし、運動神経も自分で言いますがかなりいい方です(笑)そのためバドミントンを始めて最初の大会でもすぐに入賞し、そこからバドミントンをすることが楽しくなり、エチオピアに至るまで打ち込んでいきました。
来る日も来る日も頑張って練習して、中学3年の夏には県大会ダブルスで優勝しました。

高校も地元強豪校でしのぎを削り、団体は県内ベスト4。

高校では飽き足らず、大学は北海道に渡りバドミントンに打ち込みました。
成績は道内1部リーグで最高成績団体2位。

青春をバドミントンに燃やし、日々羽根を追いかけて頑張ってました。遊びも横に置いて、来る日も来る日も練習、体育館で人生を作ってきたと言っても過言ではないくらいバドミントンばかりやっていました。

個人競技なので、自分で頑張った分強くなれる。自分がゲームを組み立てて、体を極限まで駆使して戦うハードさとスピード感にゾッコンでした。

そのため僕の青春は体育館の中にあります。というか、そこにしかないのです。世間も何も知らず、ただひたすらバドミントンをやりたい、もっと強くなりたい。少しでも多く試合に勝ちたい。その一心で打ち込みました。
もちろんプレーするのが大好きだという前提もありましたが、やらせてくれてた親に感謝です。

◆海外に目を向け始めた大学生の後半

バドミントンしかしてこなかった僕が、大学を卒業してなぜエチオピアまで行くことになったのか。それは、大好きなバドミントンを断念せざるを得ない状況になり、バドミントンに向かうエネルギーが海外に向いたことがきっかけです。そこから青年海外協力隊(現JICA協力隊)に出会い、アフリカのエチオピアに行くことになります。

◇引退を余儀なくされた大学3年生の初夏

僕が大学3年生の時、バドミントン部を存続することができなくなり、事実上の廃部になりました。

3年生の時点で、先輩2人、同期2人の計4人。
この人数は団体戦を戦う上で必要最低限の人数でした。

6月の試合を最後に、先輩は就活に専念するため引退、残された僕と同期は話し合いの結果、バドミントンを引退することにしました。
正直僕は継続したい気持ちもありました。なぜなら体のコンディションが絶好調で、これからますます強くなれる自分を確信していたからです。

ただ同期と僕の練習に対する温度感にギャップもあり、練習も満足にできない環境下では、正直やりたくてもモチベーションを維持できませんでした。それが引退に至った理由です。だけどももっとバドミントンはやりたかった。

バドミントンを引退し、エネルギーを持て余していた僕に転機をもたらしたのは、大学のフィールドスタディで訪れたアメリカでの体験にあります。

◇人生初海外のアメリカで外の世界の面白さに気付く

人生初の海外は、大学のフィールドスタディプログラムでアメリカです。
僕が想像していた海外、アメリカとはギャップがありすぎて、もっと海外に行きたい、知りたいと思うきっかけとなった経験でした。

初海外のアメリカでは、全く英語を話せなかったので、現地での1週間が常にドキドキで、どうしていいかわからない。ろくにコミュニケーションも取れないことに、とてももどかしく感じていました。ただいつもと違う景色、人、雰囲気は、好奇心旺盛な僕にとって常に新鮮で毎日が楽しかったです。そして大学の友人もいたので、共に異国情緒を楽しむことが出来ました。

一番印象的だった出来事はホームステイの時のことです。
英語を全く話せない僕らを、ホストファミリーが暖かく迎えてくれたことが本当に嬉しかったこと、そして外国人であり、英語もまともに話せない僕らのことも優しく受け入れてもらえたことが嬉しかったのです。

色々会話もしたいけど全く会話ができない、聞き取れない。とてももどかしく感じていました。なんとか話したくてGoogle翻訳を駆使してコミュニケーションを取っていたくらいです。

その時に感じたことが、海外へと視野を広げることにつながりました。

もっと英語を話せるようになったら、たくさんの人とコミュニケーションを取れて自分の世界が広がるかもしれない。

そう思うようになってから、より海外に興味を持ち始めました。英語は当時話せませんでしたが、日本に帰国してからも大学に留学していた留学生と積極的にかかわるようになり、海外への見分を広げていきました。

そして、日本の外の世界を知っていくことに、とてもワクワクしていたことを今でも覚えています。

本来4年生まで部活でほぼ毎月のように試合や遠征がありましたが、引退したことで遠征がなくなります。それを使って春休みの期間、海外に短期留学を行かせてくれと親に直談判もしたりしてました。

直談判は受け入れられて、イギリスで一ヵ月のホームステイを見事に実現しました。行かせてくれた親に感謝です。

◆進路はアフリカ?!青年海外協力隊でエチオピアに

就活する際、バドミントンしかやっていなかったので、特にやりたいこともなく、就活もなんとなくやっていました。そのため就活して内定をもらったところに入ろうかなと思っていた矢先、たまたま見た青年海外協力隊の募集のことを思い出しました。

青年海外協力隊(JICA協力隊)は、端的にいうと海外ボランティアです。

募集要項を見てみると、、

「バドミントン」という職種が書いてありました。
派遣国はエチオピア。

海外にも興味を持っていたこと、英語が話せないけど願わくば海外に住む経験をしたい。
英語を使ってコミュニケーション取れるようになりたい。
そして自分の頑張ってきたバドミントンの経験が発展途上国に少しでも役立つのであればやってみたい!

好きなことをやりながら誰かに貢献もできる、尚且つ海外に住んで仕事をするという夢を叶えることが出来ると思い即行応募しました。
親には何も伝えずに応募用紙を出して、結果は無事合格。アフリカに行くことを決めたのは事後報告でした。なぜなら必ず危ないからと言って、面倒な押し問答があると思ったからです。

実際は、色々不安そうにしていたものの、最終的には親も背中を押してくれました。

そんな流れで、大学卒業してすぐにエチオピアへ行くことになりました。

◆エチオピアでバドミントンの指導、普及に携わる

エチオピアで2年、バドミントンコーチとして競技の指導、普及に携わりました。

エチオピアでバドミントン?!
想像できませんよね。僕も全く想像できませんでした。

外の道路でバドミントンをやっているところもあれば、体育館があって思った以上に環境がいいところでプレーしている人もいました。
そして国際大会も定期的に開催されるくらい、思った以上に活動していることが一番驚きでした。

ただ国の情勢も不安定で、現地についてからすぐに非常事態宣言があったりと、なかなか地方遠征に行けない、そもそもバドミントンやっているところが圧倒的に少ない。最初の一年は数えられるくらいしかラケットを触らなかったです。オフィスに顔出しても全く仕事はない。
ようやく2年目の後半から国の状況やバドミントン事情が分かってきて、さあこれからだ!というところで任期が終了します。

エチオピアで体感した理不尽と、人の温かさが僕をとても成長させてくれました。また違う機会にお話ししますね。

現地での活動は記事にまとめています。

◆僕のこれから

日本に帰国し、就職で東京へ。
せっかくアフリカまで行ったからこそ、もっと広い世界を見たい。たくさんの経験を積みたい。それを叶えることが出来るのは東京だろう。少なくとも東京にはたくさんの機会があるはず!

そう思って上京しました。

これまでの経験から、将来は「人と人を、可能性をつなぐ人。一歩踏み出せば世界は変わる!人生は冒険で面白い!」ということを伝えていく人になりたいと思っています。

好きな言葉があります。

The sky is the limit

意味は「可能性は無限大」

僕の可能性も無限大。そしてみなさんの可能性も無限大。

自分の可能性を信じ、一人でも多くの人が自分を信じ、未来に希望を持って一歩踏み出せる世界を作っていきたいです。そのための第一歩がNoteです。僕の経験や体験から、一人でも多くの誰かの背中押しや、何かしらのきっかけを与えられるのであれば、それは幸せです。

長くなりましたが、ここまで読んでくれた方ありがとうございます!

最後はエチオピア語のありがとうで〆ます。

አመሰግናለሁ!(アムセグナッロ!)

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