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エチオピアでバドミントンの指導!現地での活動を振り返る:後編

前編はこちら。

僕がエチオピアでバドミントンに携わってことについて、前半後半に分けて書いていきます。

後半は大会運営や、物資の支援について書いていきます。

◆大会、ワークショップ運営のサポート

バドミントンがマイナー競技と言えど、国際的な催しは意外と開かれているエチオピア。

毎年国際大会を主催し、アフリカや、ヨーロッパ、アジアなどの若い選手が集っています。BWF(世界バドミントン連盟)のしっかりしたやつで、世界ランキングにも関わる意外と大事な大会なのです。
そのため、ポイント稼ぎに来ている国もありました。

もちろん国際大会なので、賞金もあります。

また、ワークショップをBWFの公式審判を招いて開催したりと、思った以上に色々やっていました。

◇エチオピアインターナショナル

僕はエチオピアバドミントン連盟に配属だったので、大会運営のサポートをしていました。体育館の整備や、公式審判とのやり取り、そして個人的に各国の監督や選手の下へ行き、インタビューをして情報収集していました。

インタビューをすることで、各々の国の練習環境も知ることができて、僕自身勉強になったのと、その各国の状況をまとめて、連盟の人にシェアもしてました。

話をできたのは、イタリア、ザンビア、エジプト、イスラエルと、普通だとなかなか聞き出せないことを聞くことができました。日本はいかに恵まれた環境でバドミントンができているのかを実感したのと、各国の取り組みもなかなか凄いなと学べました。

そして、停電はしょっちゅう。その際は一時中断です。

◇コーチングコース

コーチングコースは、BWFから実際にコーチを招き、コーチングについて学ぶコースです。レベル①だったので、本当に基本的なところから、練習はどうやって構成していくのか、打ち方の指導や、フォームについてなど実践を交えながら学んでいきます。

驚いたのが、貴重な機会にも関わらず、バドミントンを一度もやったことないコーチと呼ばれる人が、参加していたことです。
しかも英語も話せないので、BFWの説明も理解もそもそもできない、頑張って英語ができるエチオピア人が通訳するも、なかなか大変です。だいぶカオスなワークショップでした。僕が参加してコーチングコースを取りたかったくらいです。

僕も参加者とほとんど同じ立場で話を聞きながら共に学び、自分の肥やしにしました。

◇ディスアビリティプログラム

簡単に言うと、パラバドミントンのワークショップです。
車いすバドミントンもここで初めて体験することができました。

実際に車いすを使ってバドミントンをしてみたり、片目が見えない前提でラケット、シャトルを使ってみる体験など、座学と実践どちらも行っていました。
日本でもパラバドミントンは行われていたと思いますが、僕が初めて見て体験したのはバドミントン後進国のエチオピアだったのです。

取り組みは色々やりますが、単発的なのでこの先に繋がる活動がないのがもったいないところ。何とかつながるようにしたかったのですが、力及ばずのことが多々ありました。外国で、人や組織を動かすことの大変さを身に染みて感じました。

◇イベントマネジメントコース

国際大会を開くことについてのイロハを学ぶ会でした。
コースは英語で行い、頑張って僕も話を聞いていて、国際大会がこういう形で運営されていたのかとかなり発見が多かった会です。

そして自分たちで実際にイベントを考えてみるワークショップなどもあり、運営やコンセプトも具体的に学ぶことのできるコース、しかもBFW公認なのでしっかり受講証明書ももらえます。

毎回ワークショップでは、BWFの公式審判や、アフリカ支部の方が派遣され講義を行います。

ただ内容はすべて英語。中にはエチオピア語しか話せないコーチ陣も参加者の半分くらいなのです。しかも参加するだけで、コース受講証明書をもらえるものもあり、それがあるだけでコーチとしての拍が付きます。
そのため、みんなこぞって参加するのです。英語も理解できない状態だとしても。

もちろん英語ができる人が手助けしますが、アウトプットする機会もあるので、なかなか大変。
エチオピアでも、バドミントンをわりと指導できるコーチもいます。ただ、肩書きだけ集めたコーチの方がどちらかというと多いです。

◆物資の援助

日本バドミントン協会にコンタクトを取り、物資を送っていただくことに成功しました。そして地元のJICA協力隊OBOG会である、「AOCA(青森県青年海外協力協会)」の方々にも協力をいただき、中古ラケット、シャトルを寄付いただきました。

最初は絶対無理だろうと思っていたのですが、ダメ元で打診してみた結果、形になって本当にありがたかったです。

今回「Sport for tomorrow」という取り組みの一環で、エチオピア日本大使館を通じて、エチオピアバドミントン連盟に物資を寄付することに成功しました。

意外と大変だったんです。(笑)


◇Sport for tomorrowを通じた物資

JICA協力隊に応募した際にお世話になった方を通じて、日本バドミントン協会に連絡を取りました。

端的に言うと、「Sport for tomorrow」を通じて、何かしら支援ができないかと、問い合わせしたのです。正直取り合ってもらえるとは、微塵も想いませんでしたが、行動するのはタダなので、やれることは最大限やりました。

結果的に、大会で中古の使われていないラケットを回収する取り組みを実施いただき、そこで回収されたラケットがエチオピアに送られることになりました。また、AOCAの方々にもご協力いただき、使っていないラケット、シャトルを青森県内で集めていただき、その物資も送ってただきました。

◇恩師からの物資

大学時代の恩師からも、ラケット、Tシャツ、ガットを送っていただき、僕がかかわってきた中で信頼できるコーチのもとに物資を送りました。
恩師は元々、実業団でプレーしていたこともあり、バドミントン界隈での伝手も多く、個人でありながら多くのご支援をいただきました。本当にありがたかったです。

恩師にいただいた物資も、僕が深くかかわりを持っていたコーチに託し、子どもたちのバドミントンへのために使っていただきました。

◇魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える

この話を聞いたことはありますか。
これは、一時的に魚を与えるのではなく、釣り方を教えて今後自分たちで魚を捕れるようにする、自分たちだけでやっていけるよう、やり方を教えることの例えです。

この例からすると、今回はラケット、「魚」を与えるだけになりました。
ここが僕が一番物資の支援をする際に迷ったところです。

なぜなら、ラケット、道具を与えてもそれを継続的に維持、管理ができないのが目に見えていたからです。それでも僕は今回「魚」を与える選択をしました。

理由は、エチオピアの子供たちがバドミントンを通じて視野を広げるきっかけを作りたかったからです。一時的にでもバドミントンに触れて、楽しい、面白いという感情を抱き、彼らが成長した時にまたやりたいや、自分の子供ができた際に、楽しさを共有できたら嬉しいなと考えた僕のエゴです。

それがいいかどうかはわかりません。
ただエチオピアの人々がバドミントンに触れる機会を提供できたことは確かです。

「釣り方」を教えるのは、次の人に託します。

◆終わりに

振り返ってみると、意外と貢献できた、まだまだやれることあったな、と両方あります。やってきたことは無駄ではなかったし、自分が一番学ぶことだらけでした。今でもエチオピアの2年間は、僕を形成する大きな人生のイベントです。

そして、形になることはあまりなかったなと思っていましたが、振り返ってみると、色々携わったり、チャレンジしていたことを再認識できたのがよかったです。色々もどかしい日々も多々ありましたが、この2年間でやってきたことをまずは自分自身が承認しようと感じました。

◇感謝

たくさんの人に支えられていたことを改めて実感しました。
一人だとできなかった活動や結果が、今回振り返ってみたことでたくさんあったことをひしひしと感じています。しかも僕は世間知らずの青二才で尖っていたのに対し、優しく接してくれたみなさんに本当に感謝です。ありがとうございます!

エチオピアの人と関わり、少しでも彼らに貢献できていたら幸いです。

バドミントンを通じて、世界と繫がれた僕のエチオピアでの活動まとめでした。誰かの希望や発見につながっていれば幸いです。

ではまた!

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