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ロード・オブ・ヘブン

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イヴァンが国境警備隊として初めて配属された場所は国道326号線国境検閲所。通称ロード・オブ・ヘブンと呼ばれる場所だった。初任地・所任務・初夜勤。最悪尽くしのこの日に紹介されたイヴ… もっと読む
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記事一覧

13 ロード・オブ・ヘブン

04 魔の手はそっと忍び寄る  信じられない! 信じられない! 信じたくない!  エーレがゲイだったなんて!  アホでも猫馬鹿でも、それでも出来る時は出来る男だと、頼りになる上官だと見直したばかりなのに!  ひどく裏切られた気持ちだった。嫌悪感もあったけれど、それ以上に信頼を裏切られた気持ちが勝っていた。  仮にゲイだったとしても。  こんな一方的なやり方をするような男だと思わなかった。さりげなく気配りし、それとなく隊員をフォローするような男だと思っていた。そこに尊敬を見出

12 ロード・オブ・ヘブン

03 魔の手はそっと忍び寄る  結局エーレはコミュニケーションルームにはいなかったが、他の隊員がリーヴィと遊びたがっていたのでそこで解放し、イヴァンは食堂へ向かった。日勤の隊員たちが引けたあとなので、いつもよりも空いている。  一週間たっても、おいしいとは言えないが食えないよりかはマシという程度の朝食は、珍しくサラダがあった。生鮮食品はこのロード・オブ・ヘブンでは貴重な食材だ。週に一度、買い出し班が下山して食糧を調達することもあれば、本部からヘリコプターの空輸で運ばれること

11 ロード・オブ・ヘブン

02 魔の手はそっと忍び寄る  今日はイヴァンたち第八小隊の中の第一分隊が非番となっている。他の分隊は通常任務についているが、夜勤明けの分隊の姿も確認できるため、施設内はそう閑散としたものではなく、遠くから笑い声などが聞こえていた。  ふと前方から同じ分隊のアードルフ・クラナッハが歩いてきた。イヴァンに気付くと片手をあげた。 「やぁ、イヴァン君。小隊長の彼女をナンパしていいの?」  ニヤリと笑ってイヴァンをからかった。エーレの飼っている黒猫への認知度は、すでにそれで知れ渡っ

10 ロード・オブ・ヘブン

本編読了後を想定した番外編です。ここから読む場合は本編のネタバレを含みます。 01 魔の手はそっと忍び寄る  頬をざらりとした舌で舐められる感触がして、イヴァン・デーレーは目を覚ました。薄茶色の瞳に刺すような白い日差しが飛び込んで、思わず小さな痛みに怯んで再び目を閉じる。けれども寝ぼけた頭にも、今イヴァンの頬を舐めた犯人が誰なのかすぐにわかった。 「リー…ヴィ……」  天井の低いベッドの上、首だけを曲げて横を見た瞬間、漆黒の猫は『もう起きたら?』と促すように、小さな前足で

09 ロード・オブ・ヘブン

 逃げるな! そう言われたような気がする。  起き上がると走り出す。スタングレネードの効果はそう長くない。咄嗟に目を瞑り、耳を抑えていれば、効果は半減している。  イヴァンは走った。途中、細い枝がイヴァンの頬に当たって擦り傷を作る。  それに構わずに走る。見えない足元の不安定な岩場に、途中足元をすくわれかけて転びそうになりながらもイヴァンは走った。 「小隊長!」  エーレは一人の身柄を拘束していた。しかしそんなエーレの背後に、ふらつきながらも襲い掛かろうとしている男がいた。

08 ロード・オブ・ヘブン

 タタタンッ! と、連続した銃声が響き渡る。しまったと思った時にはもう遅い。  国境警備隊は準軍隊組織であり、抵抗し指示に従わない者が反撃し、身の危険を察知した場合は発砲する許可がある。  しかしその際には警告がなければならない。イヴァンは恐怖のあまり引き金を引き、一切の警告をしなかった。 「う、動くな!」  武器庫で銃の弾をチェックしていたとき、エーレは初弾のほかに二発、合計して三発は空砲を入れておけと言っていた。その指示に従い、今撃った三発は空砲だ。仮に当たっていても死傷

07 ロード・オブ・ヘブン

 イヴァンの心に不安が生まれる。  ここはロード・オブ・ヘブンだ。イヴァンの前任者も死亡したからこそ、イヴァンがここに呼ばれたのだ。  一人になった途端にこんなことを考えるのは、この土地にやってきて初めて一人きりになったからか、それとも初めて敵に遭遇したからか。  ただ怖かった。  夜の闇はこんなに怖いものなのか?  一歩歩くたびに砂利の音がする。細い小枝が靴の底で折れる音がする。この音を聞きつけ虫は鳴くのをやめた。エーレが見つけたかもしれない敵も、この音を聞いているのだろう

06 ロード・オブ・ヘブン

 イヴァンは大きなため息をついた。というより、溜め息をつくしかない状況なのだ。真横にいる上官に、着任早々文句を言えるはずもない。ささやかな抗議は溜息でしか表せないのだから。 「ボンベ持ってきただろ? 巡回エリアに着く前に使っておきなよ」  しかしくだんの上官であるエーレは、初勤務となる部下の溜め息の理由を、軽い高山病だとずっと思っているのだろう。それは間違っていない。確かに間違えてはいなかったが、正確でもなかった。 「……はい」  無難に頷き、イヴァンは視線を下へ向けた。そこ

05 ロード・オブ・ヘブン

 イヴァンは武器庫で装備に手を掛けた。周囲からはイヴァンと同じ装備を身に着けている隊員たちの雑談も聞こえていたが、その内容を聞き取ろうという気力もなかった。  支給されたヘルメットやグローブは新品だったが、防弾チョッキやアサルトライフルは中古だ。つまり殉職したという隊員も使ったものなのかもしれない…… 「はぁ……」  イヴァンは先ほどからしつこく残る頭痛を緩和しようとするように、こめかみをもんだ。着任してから頭を抱えたくなる出来事ばかりに遭遇しているから、頭痛が引かない。鎮痛

04 ロード・オブ・ヘブン

 検閲所本部からやや離れたところにある官舎に戻る。大規模な施設を建造するにも、ここは山の上である。施設自体は節約に節約を重ねた小さな建物だった。  例えば部屋は六人で一部屋。三段ベッドが向い合せになるだけの空間の他はない。荷物はすべてベッドの下に収納できるようになっている。男所帯特有の臭気漂う空間にいると、なんだか妙に地上が恋しくなってくる。  基本的にこの場所は寝るためだけにあるようだ。コミュニケーションルームと名付けられた空間だけは広く、ソファーやテーブルの他にテレビが設

03 ロード・オブ・ヘブン

 ポスティッヒの視線はその男に向けられていた。  それを見た瞬間、イヴァンは嫌な予感が炸裂したな、と胸中で思う。  もうすぐ日没という時間的に考えて、入国手続きはできない。つまりこの寝転んでいる男は、入国や出国手続き待ちの国民や外国人ではない。  そもそも、ポスティッヒやイヴァンと同じ、山岳迷彩服にブーツ。間違いなく同じ国境警備隊の人間だ。  金髪に水色の瞳。パッと見た印象は優男。寝ころんで仮眠しているだけなら、ここまで落胆はしなかっただろう。  なにせその金髪優男は、胸の上

02 ロード・オブ・ヘブン

 空の彼方にまだ西日の余韻を残す頃、ようやく到着した国道326号線検閲所、通称ロード・オブ・ヘブンは、想像していたより小さなところだった。もっとも大規模施設を建設せず、小規模に分散しているためにそう感じただけかもしれない。  国境が山岳部にありまた交通の便が悪く、ましてや戦闘が絶えぬ不安定なこの検閲所は、国境警備隊の二個小隊、およそ六十人近くの人間が一年間の任期を務める。一年間の任期を終えると、また一年間別の国境警備を担当することになる。  実はイヴァンはニドヒル独立国北部、

01 ロード・オブ・ヘブン

「もうすぐロード・オブ・ヘブンだぞ」  運転席からそう声を掛けられたイヴァン・デーナーは、ハンドルを操る同僚であり、そして上官にあたるディートマル・ポスティッヒを見た。灰色を基調とした山岳迷彩服に身を包むポスティッヒの二の腕は、丸太のように太くて逞しい。短く刈りこんだ黒髪に黒目の強面だが、初対面の時からよく笑う気さくな先輩という印象だった。  これから一年間、イヴァンの上官になる男だ。うまくやっていけそうだとイヴァンは思う。  ポスティッヒも一瞬だけ進行方向から、助手席に座る