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02 ロード・オブ・ヘブン

 空の彼方にまだ西日の余韻を残す頃、ようやく到着した国道326号線検閲所、通称ロード・オブ・ヘブンは、想像していたより小さなところだった。もっとも大規模施設を建設せず、小規模に分散しているためにそう感じただけかもしれない。
 国境が山岳部にありまた交通の便が悪く、ましてや戦闘が絶えぬ不安定なこの検閲所は、国境警備隊の二個小隊、およそ六十人近くの人間が一年間の任期を務める。一年間の任期を終えると、また一年間別の国境警備を担当することになる。
 実はイヴァンはニドヒル独立国北部、メイシャ連山の麓、陸路でナーワン地区と隣接する地点の国境警備の任に着く予定だった。
 だがロード・オブ・ヘブンで一人欠員が出た。つまり殉職者が出たために、人員が不足し、そのためにロード・オブ・ヘブンへ配属替えをされてしまったのだ。
 初任地がロード・オブ・ヘブンという、最悪の配置に、一時は辞職することも考えたが、初任務にも就く前に逃げ出す腰抜けと言われるのは我慢ならない。
 そんなささやかな男の面子にかけて、イヴァンはロード・オブ・ヘブンへとやってきたのだ。
「ようこそ、天国に一番近い国境へ!」
 洒落にならない歓迎の言葉を聞かされるだけで、うんざりとしてしまう。しかしその発言の主であるポスティッヒが、イヴァンの所属する第八小隊第一分隊の分隊長だ。
 ポスティッヒの運転する車は、検閲所の手前の建物に留まった。こちらは隊員が生活をしている施設らしい。すでに外で待っていた男たちが数人、四輪駆動車に近付き、慣れたようにトランクを開けて、物資を取り出していく。
「よう、新入り! 夕飯前に来られてよかったな! これからしばらくは大してうまくない飯を一緒に食うことになるが、一つだけいいことがあるぞ。それは地上に戻った時、向こうの飯は何を食ってもおいしく感じられるってことだ。俺はクルト・ニグブルだ。よろしくな」
 まだ助手席に乗ったままで、シートベルトも外していないのに、後ろから話しかけられたイヴァンは、体を捻って後ろを見た。
「イヴァン・デーナーです、よろしくお願いします!」
 降りてちゃんとあいさつをしようと思って、シートベルトを外そうとすると、運転席に座るポスティッヒがイヴァンの肩に手を掛けて首を振った。
「おまえはまだ下りるな。これから詰め所に行くから」
「詰め所?」
「向こうの検閲所本部のことだ」
 ポスティッヒが示した場所は、そう遠くではない。歩いてもいける距離だ。
「小隊長がいるから、まずは小隊長に挨拶しておけ」
「あ、はい。了解しました」
 このロード・オブ・ヘブンを担当する隊長ということは、きっと厳しい人なのだろうなと思う。
 しかしポスティッヒは口角を吊り上げ、意味深な笑みを浮かべていた。
「何か?」
「いや、色々とあるんだけど、お楽しみはとっておかなきゃな?」
 ポスティッヒの台詞が聞こえたのか、トランクから荷物を下ろしていた男たちから苦笑が漏れた。
 何やら怪しい雰囲気がする。
 よっぽど問題のある人なのだろうか?
 そんな不安を感じて、思わず眉根を寄せる。それでなくとも初任地がロード・オブ・ヘブンという絶望的な配置だった上に、上司が問題ありという曰くつきの人物だったら、これからの一年間は破滅的だ。生きて地上に戻れる自信がますます減っていく。
「よし、車を出してくれ」
 トランクが閉められる。それに合わせてポスティッヒが車を徐行で発進させた。
「それで自分はいつからの任務になるのでしょうか?」
「うん、それについてもこれから小隊長から説明がある」
 そう言って唇の端を吊り上げてポスティッヒが笑った。嫌な予感だけが炸裂寸前になるまで膨れ上がる。
 そもそもここへの配置も、突然の変更だった。一度は初任地予定だった場所へ荷物を送る手はずを整えた矢先に、ロード・オブ・ヘブンへの変更を聞かされたのだから。
 イヴァンたちは、国境警備隊訓練所という場所で、一年と八か月に渡りさまざまな訓練を行ってきた。銃火器の扱いはもちろん、基礎体力作り、抵抗する人間の拘束方法、ニドヒル独立国の憲法はもちろん、国境警備隊規則の暗記など。
 他にも密入国者を送還する手続き、正式に入国許可が下される条件など、覚えることは山積みだった。
 一年と八か月をそうした訓練と勉強に費やし、一年の任地に着く。そして四か月間の最終訓練と講義を受けて、晴れて正式な国境警備隊員として認められる。
 初任地がロード・オブ・ヘブンとなることは稀らしく、ここ数年ではイヴァンが久しぶりに抜擢されることになったらしい。
 もっとも殉職者が出たための穴埋めであり、もしもその殉職者が出なければ、やはりイヴァンも別の地区の任地だった。
「さぁ、今度は降りてくれ。口で言うより、見ればうちの小隊長ってどんな人間なのかわかるから」
 そう言ってポスティッヒは笑った。もうおかしくてたまらないといった雰囲気が、逆にイヴァンの不安を誘う。
 促されるまま車を降りる。詰め所と呼ばれた検閲所の高さは三階建てだ。ゲートには武装した隊員が両側に立っている。軍隊さながらに完全武装し、肩からはアサルトライフルのスリングが掛けられていて、いつでも応戦できる構えだ。また詰め所は道を挟むように分断され、常に両側から警備しているようだった。
「こっちだ、デーナー」
 呼ばれたイヴァンはポスティッヒの後をついていく。ポスティッヒは左側の建物の中に入って行った。
「お疲れ様です、小隊長」
 中は思った以上に狭い。
 入国管理手続きをするためのカウンターが続き、カウンターの内側には机と書類の棚がぐるりと覆うようになっていた。そこにはイヴァンたちと同じ、国境警備隊の山岳迷彩服に身を包んだ男たちが、書類仕事を淡々と処理している。特にイヴァンに注目する人物はなく、目の前の書類を裁くのに忙しそうだ。
 入国手続きをするために、待たされる人間のために用意されているソファーには、一人の男が寝ころんでいた。

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