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05 ロード・オブ・ヘブン

 イヴァンは武器庫で装備に手を掛けた。周囲からはイヴァンと同じ装備を身に着けている隊員たちの雑談も聞こえていたが、その内容を聞き取ろうという気力もなかった。
 支給されたヘルメットやグローブは新品だったが、防弾チョッキやアサルトライフルは中古だ。つまり殉職したという隊員も使ったものなのかもしれない……
「はぁ……」
 イヴァンは先ほどからしつこく残る頭痛を緩和しようとするように、こめかみをもんだ。着任してから頭を抱えたくなる出来事ばかりに遭遇しているから、頭痛が引かない。鎮痛剤は滅多に飲まないために持っていない。医務室がどこにあるのか、まだ聞いていなかった。
 溜め息を漏らして、少し硬い茶髪の髪を撫でて、ヘルメットをかぶる。
 国境の検閲所は、当然夜間は開かれない。緊急車両や許可証がある車のみが通される。徒歩でこの連山に挑む連中はいない。標高2500メートルはある山を、それも内戦の激しいラハーラ連邦国側から登る人間など密入国者だけだ。
 ちなみにラハーラ連邦国側から、麻薬を携えて密入国しようとするマフィアの連中は、ぎりぎりの場所まで車で乗り付け、国境を徒歩で超える。
 事前にニドヒル独立国側に潜入していた受取人も、国境付近まで車で乗り付け、山中で受け渡しをするというのがよくある手口だ。
 麻薬の流行は国内を荒廃させる原因の一つだ。なんとしてでもニドヒル独立国側は、阻止しなくてはならない。
 国境警備隊の活動が、それに大きく関係している。
 だからこそ、夜間の警備警戒は厳しいものとなる。
「よう、デーナー」
 話しかけられたその声に仰ぎ見れば、戸口に黒猫を抱いた優男……代理バディにして、上官であるライヒアルト・エーレが立っていた。
 出たな、頭痛の種め……
 そんな思いで見上げてしまう。
 確かに親しみやすい性格は、相手の警戒心を解いてしまうが。やはりどう好意的に解釈してみようと努力しても、第一印象というものはそう易々とは拭い去れないようだった。せめてエーレが同じ隊員だったらよかったのだ。それなら親しみやすい先輩で済む。しかしエーレは上官だ。それも第八小隊を率いる小隊長なのだ。ロード・オブ・ヘブンの責任者がこれでは、頼りないと感じてしまうのは無理もなかった。
 エーレは腕時計を確認し、時間を見ていた。その手には何やら紙袋が握られている。
「あと十五分あるな。よし、これ五分でもいいから使っておけ」
 そう言うと、エーレはイヴァンに紙袋を差し出した。
 何やら嫌な予感しかないのはなぜだろうか?
 恐る恐るという手つきで受け取る。そう重さは感じない。
 思わず不信な眼差しで見上げてしまうと、エーレは肩をすくめて笑って見せた。まさかその黒猫と遊ぶためのグッツではないよな? そんなことを考えつつ、嫌々中を開いてみる。
「……?」
 中に入っていたのはスプレー缶のようだった。とりあえず持ち上げてみると、新品の携帯用酸素ボンベだとわかる。
「新入りが来るときは渡すようにしているんだ。昨日まで平地にいた人間が、突然標高2500メートルの場所に来たわけだぞ。頭痛と吐き気、食欲不振は軽い高山病だ」
「あ……」
 頭痛と吐き気、食欲不振。どれも今のイヴァンの症状に当てはまる。
 もっとも頭痛の原因は目の前にいるエーレのせいだと思っていたし、吐き気と食欲不振はあの微妙な味付けのせいだと思っていたのだが……
「特に今夜はいきなり夜勤だし、今日はそれを持ち歩いてもいいよ。ひとまず出発前に五分は使っておいて。低酸素状態になると、思考力も落ちるし、判断力も鈍る。夜間の警備はそのどちらかが欠けても命取りだ。特にこのロード・オブ・ヘブンは」
 散々部下にアホ扱いされていたため、あまりにまともなことを言われてイヴァンは驚く。しかし冷静に考えて、本当に単なるアホが小隊長になれるはずもない。
 ポスティッヒが言っていたではないか。
 エーレは軍から正式に軍隊へ入隊するよう打診されたこともあるのだと。
「あと、数日たってもどうしてもその症状が治まらない場合は、高地に順応できない体質だと思っていい。その場合は真っ青な顔でふらふらと仕事されるより、地上に移動してもらう。移動願いは早めに申し出て。恥でもなんでもないからさ。体質的にアレルギー反応が出るから、チーズが食べられない人もいるだろ? それと同じ。ロード・オブ・ヘブンでは高地順応できなければ警備に隙ができる。それは隊員の命取りにしかならないんだ。だからこれは絶対に守って欲しい。意地とかいらない見栄は張らないでね」
 言っていることはまともで、思わず見直したいくらいだったが、エーレは黒猫の手をぬいぐるみのように借りて突き付けていた。
 そんなアホな行動さえとらなければ、今本当に見直していたのに……
 妙な脱力感を覚えつつ、イヴァンは頷いた。
「了解です、小隊長。これは有難く受け取ります」
「うん、素直でいい返事。時々ね、変に反発して「いらない」っていう奴いるんだよ。決まってそのあと、どんどん蒼白になっていくのさ。しまいには吐いてひっくり返って使い物にならなくなる。これが一番ダメな例。具合の悪い時は素直に申し出る。足の引っ張り合いはロード・オブ・ヘブンじゃ自殺行為に巻き込むことだと思って」
 エーレのその真剣な眼差しから、それが真実なのだと思い知る。
 過去にエーレはそうして部下を失ったのだろうか?
 殉職者が多く出る場所なのだから、一度くらいはあるのだろう。少なくとも最近出ている。だからイヴァンが配属になったのだから。
「あとね、それなんだけど」
 エーレはイヴァンがスリングを肩にかけて、背中に背負っているアサルトライフルを指差した。
「初弾は空砲入れておいて。うちは軍隊じゃないからさ。最初は警告が必要なわけ。撃ちあうような状況になっても、殺すことが目的じゃなくて、行動の抑止が目的。でも最初は緊張してうっかり相手を撃つこともあるからさ、当たっても即死しないように、初弾は空砲にしておいて。セミオート三点バーストなら、装填した初弾の他、マガジンの最初の二発は空砲。フルオートは間違っても使わないように。うちは軍隊じゃない。それを忘れるな」
 なるほど、猫さえいなければ、エーレはかなりまともらしい。
 言うことは理にかなっているし、納得できるものがある。イヴァンは少しだけエーレを見直すことにした。
「じゃ、あと少ししたら夜間巡回に出るから、用意を済ませて正面に集合。今回は俺と二人になるけど、普段は四人一組だから」
 そう言いおいて、エーレは武器庫を出て行った。
 どうにもエーレという上官が、どんな人間なのかを把握できずにいたが、理不尽な言動をするような人間ではないと知れれば十分だった。
 さっそくイヴァンは携帯酸素ボンベのキャップを外し、吸入口を当てて深く酸素を吸い込んだ。すぐに頭痛は緩和されるものではないが、それでも心なしかほぐれていくような気がした。

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