見出し画像

13 ロード・オブ・ヘブン

04 魔の手はそっと忍び寄る

 信じられない! 信じられない! 信じたくない!
 エーレがゲイだったなんて!
 アホでも猫馬鹿でも、それでも出来る時は出来る男だと、頼りになる上官だと見直したばかりなのに!
 ひどく裏切られた気持ちだった。嫌悪感もあったけれど、それ以上に信頼を裏切られた気持ちが勝っていた。
 仮にゲイだったとしても。
 こんな一方的なやり方をするような男だと思わなかった。さりげなく気配りし、それとなく隊員をフォローするような男だと思っていた。そこに尊敬を見出し、彼ならば信じられるとそう思ったのはそう前のことではなかったのに。
「なんだ、どうしたそんな恰好で?」
「!」
 現れたのはイヴァンが属する第一分隊の分隊長、ディートマル・ポスティッヒだった。上半身裸で、ズボンだけは履いているが裸足のイヴァンを見て目を丸くしている。
「な、なんでもありません! 忘れ物をしたので取りにきただけです!」
 まさかエーレに襲われかけたとは言えない。いや、今後もエーレに付け狙われるようならば、誰かに相談しなければ、いつか力づくに襲われてしまうかもしれない。
 けれど今の状態ではうまく説明できる気がしない。
 そのためポスティッヒの横を通り過ぎようとしたのだが、ポスティッヒに腕を掴まれた。
「なんでもないって顔じゃねぇぞ?」
 ポスティッヒが真剣な顔で覗き込んできた。イヴァンは言ってしまおうか、それともと迷った。
 やはり今の気分ではうまく説明できそうにない。感情的に叫ぶだけではわかってもらえないだろう。
「大丈夫です……」
 ぽつりとつぶやくようにして言った。少なくともここに、イヴァンの様子を気にかけてくれる人がいる。それを感じただけでも、先ほどまでの嫌悪と恐怖は落ち着きを取り戻し始めていた。
「そうか……ここはひとつ、俺が元気づけてやろう」
「は?」
 そう言うとポスティッヒはイヴァンの腕を離さないまま、イヴァンを壁際に押し付けた。ひんやりとした壁の冷たさが背筋に伝わり、ぞくりとする。
「ポスティッヒ…分隊長?」
 ポスティッヒは片手で迷彩服の胸のポケットから、チョコレート菓子を取り出した。すでに開封済みでいつでも取り出して食べられるようにしていたのか、そこから器用に一本だけ取り出す。
 細長いビスケット菓子にチョコレートがコーティングされている、一般的な菓子だ。イヴァンも何度も食べたことがある。季節によってはアーモンドクラッシュタイプ、ムースチョコレートタイプに、ストロベリー味など、種類は色々あるけれど、ポスティッヒが取り出したものは通年売られているチョコレートのものだ。
 今も売店へ向かえば手に入れられる。
「ほら」
「む!」
 無理やり口に押し込まれ、こんな菓子を与えるのに、なぜこんな状態に? と思いつつカリッと一口かじったところで、ポスティッヒの顔が近づいた。
「さぁ、行くぞ」
「うぬぅぅぅ!!」
 反対側をポスティッヒが咥えたのだ。その距離の近さにイヴァンは絶叫し、ガリッ! と勢いよくスティック菓子をかみ砕くと、
「ふざけんなぁぁぁぁ!」
 掴まれていない腕でポスティッヒの首を狙って、殴りつけるようにして払いのけた。仰け反ったところで、隙だらけとなった腹部を素足で蹴りつける。
「ぐぁっ!」
 確かにポスティッヒは屈強だ。イヴァンと並ぶと、二倍の筋肉をまとっているかのような体格だ。
 しかしイヴァンとて訓練を積んできた隊員だ。渾身の力で蹴り飛ばすことくらいできる。
「どいつもこいつも! いい加減にしやがれぇぇ!」
 更に殴り掛かろうとすると、イヴァンを制止する声が背後から上がった。
「ちょっと待ったぁぁ! 止まってイヴァン君!」
「どっきり、どっきりなんだよ、兄弟!」
 すると、機械室の扉が開き、中からクラナッハとケルツが飛び出してきた。
 その手にはカメラが構えられていた。
「は?」
「だから、これどっきり!」
「ど……?」
 イヴァンの思考が真っ白になる。二人の言っていることが呑み込めずにいると、顎をさすったエーレが歩いて近づいてきた。
「悪かったな、デーナー!」
 相当痛かったのか、エーレは顎から手を離さない。そしてうめき声に気付いて視線を巡らせると、まだ床に転がっているポスティッヒが腹部を抑えて苦しそうにはしていたが、口元に笑みを浮かべていた。
「本気で蹴りやがったよ……」
「え?」
 それでも状況を理解できずにいると、クラナッハは撮影していたカメラの液晶を見せた。
 そこに映し出されたのは、朝、リーヴィを抱いたイヴァンが尻を撫でられるところが映し出されていた。アングルからしていかにも隠し撮りという風景だ。
「ドキッ☆男だらけのロード・オブ・ヘブン! 新入り歓迎会、なんだよ、イヴァン君」
「なおこの様子は、現在もコミュニケーションルームに絶賛放映中だ、兄弟」
 もう一台のカメラをケルツが向けている。
 ここにいない第一分隊の非番の仲間たちは、つまり他にも撮影をしていたのか?
 だから不自然なほどシャワールームに人がいなくて、誰も来なかった。あの場所にはすでに誰かが隠れて待機しており、撮影していたのだろう。
「……」
 つまり。
 娯楽の少ない閉鎖的なロード・オブ・ヘブンでは、街に繰り出しての飲み会もできない。そこで、非番の連中だけで考えたのが、どっきりをしかけることであり、そのどっきりの内容がよりによってこれ……
「うわぁぁぁぁぁ!」
 イヴァンは絶叫してしゃがみ込み、頭を抱えた。
 冗談であそこまでするか!? 本気で、本気で気持ち悪かったというのにっ!
「だから言っただろ?」
 起き上がりはしたが、余程腹部が痛いのか、ポスティッヒは座ったままで笑っていた。
「こいつ根が真面目だからトラウマになるって。今回はもっと別のにしろって」
「だってこれ恒例でしょ? 俺だってやられましたもん。イヴァン君だけ特別扱いってのはだめでしょ」
 つまりは毎回こうして新入りは『ゲイに狙われているかもしれない!?』という演出のどっきりをしかけられるわけだ。なまじ男しかいない検閲所では、信憑性がありすぎた。
「しかしあれね、エーレ小隊長がノリノリすぎたのが原因でしょ?」
 クラナッハがそう言ってカメラをエーレに向けた。エーレは顎をさすりながらニヤリと笑った。
「だってねぇ、いつもこの歓迎会どっきり、俺は不参加じゃん? そりゃ見ているのも楽しいけど、たまには参加してみたいでしょ? 俺も昔やられたし、分隊長の頃にやったけどさ」
 男だらけの歓迎会の仕組みは、初の非番の日にその新入りが加わった分隊が行う。そのため、小隊長であるエーレは不参加なのだ。
 ところが今回は状況が状況であり、初任務についた日に防弾アーマーを着ていたがイヴァンは撃たれ、非番の日は疲れ切っていた。そこで次の非番の日に決行することになっていた。更に、ノダックが入院しその間代理の相棒を務めていたエーレもまた非番であったことから、この危険などっきりに参加したというわけである。
「危うく本気でアーッ! って展開になるかもって、ちょっと焦りましたよ、俺は」
「俺も、受け入れられたらどうしようかと途中から焦った!」
 ちっとも焦っていない笑顔でエーレはそう言って、頭を抱えてしゃがみ込んだままのイヴァンの隣にしゃがんだ。
「悪かったって、デーナー。ほら、これどっきり?」
 ちらりと腕の隙間からエーレを睨みつける。いつものように飄々とした笑みを浮かべているのが、心底憎たらしい。
「それにしても分隊長のアレ! さぁ、行くぞ! ってアレはないでしょ、アレは!」
 ケフトが声を上げて笑う。ポスティッヒもニヤリと笑った。
「いやぁ、あのままだと部屋に引きこもりそうだったし。やるなら今しかないと思って」
 そんなポスティッヒの声を聴いて、イヴァンは怒りがふつふつとこみ上げてきた。冗談でもやっていいことと悪いことがあるだろうに。
 そしてふと思い出す。
 朝の食堂でノダックは「アレをやられたのか?」と聞いていた。つまりそういうことだ。
 最初の非番が自分の入院中だと知っていたノダックは、昨日退院して復職したばかりだ。だからこの新入り恒例の度が過ぎるどっきりを、見逃したのかどうか聞いてきたのだろう。そこでイヴァンが不思議そうな顔をしたので、まだ行われていないと知り、慌てて話題を逸らしたのだ。
「信じらんない……」
 下手をすればリーヴィのところからすべて仕組まれていたのだろうか?
 感情の起伏が激しすぎて、思わず涙が滲んできた。あんまりだ、あんまりすぎるっ!
「ちなみにこいつは編集されて、全部の分隊の非番の日に上映会がある」
「やめてくださいっ!」
「それはだめだよ、イヴァン君。ここにいる全員が、一度はその目にあっているんだ。チームワークを手っ取り早く深める方法は何か知っているかい? 同情だよ。自分もかつてあんな目にあったなぁ! って思うからこそ、笑いも深まりついでに絆も深まるのさ!」
 普通の信頼が欲しい……
 そっちは絆が深まったつもりでも、こっちは危うく人間不信になりかけただけじゃないか! どこがチームワークだ! 何が絆だ!
 そんな怒りを込めた視線をクラナッハに向けると、おかしそうに笑っていた。そしてケルツはわざとらしく怯えるように両腕を掻き抱いてみせた。
「しかし兄弟、怒らせたら怖い! 分隊長を一蹴りでぶっ飛ばしたよ! こいつは伝説になるよ、きっと!」
「そんな伝説いりません!」
 ひとしきり叫んだら、泣きたいような笑いたいような気分になってきた。けれどそのどちらにも中途半端な形となり、イヴァンは顔を覆って溜め息をついた。

魔の手はそっと忍び寄る ―完―

12

#小説 #オリジナル小説 #アクション #コメディー #準軍隊組織 #国境警備隊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?