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08 ロード・オブ・ヘブン

 タタタンッ! と、連続した銃声が響き渡る。しまったと思った時にはもう遅い。
 国境警備隊は準軍隊組織であり、抵抗し指示に従わない者が反撃し、身の危険を察知した場合は発砲する許可がある。
 しかしその際には警告がなければならない。イヴァンは恐怖のあまり引き金を引き、一切の警告をしなかった。
「う、動くな!」
 武器庫で銃の弾をチェックしていたとき、エーレは初弾のほかに二発、合計して三発は空砲を入れておけと言っていた。その指示に従い、今撃った三発は空砲だ。仮に当たっていても死傷する程のダメージはない。
 しかし次は無理だ。次に引き金を引いたら、殺してしまうかもしれない。
 見えないのだ。夜の闇が全てを覆い隠すから。敵がどこにいるのかわからない。どこから撃ってくるのかわからないから、狙いを定めることもできない。
 何よりも恐怖が!
 撃たれるかもしれない、ここで死ぬのかもしれない。そんな本能的な恐怖が膨れ上がる。訓練所で感じたことのない恐怖が、敵の存在と共にイヴァンに襲い掛かっていた。
 アサルトライフルとは違う、もう少し軽い銃声がパンッパンッと二度連続する。
 頭が真っ白になり、血の気が引くのを感じた。そして発砲の瞬間に銃口から発せられるマズルフラッシュが見えた方向へ銃を構えて撃つ。
「動くな!」
 警告することも、状況を把握することもできなかった。撃たなければ殺される、その思いだけがイヴァンを支配する。
 乾いた喉を潤そうと唾を飲み込もうとするが、唾さえ出ない。一層ざらついた渇きが増したようで不快感が増す。
 その場に伏せて、視線を巡らす。見えるわけがない。月明かりは頼りなく、細い木々の影が闇を深める。
 ざわざわと、風に揺れて葉が鳴った。
 アサルトライフルを構えながら、周辺を見回しても何も見えない。夜の闇は深まるばかりで、敵の姿を包み込んでしまう。
 自分の鼓動の音がうるさい。うまく息を吸えずに苦しい。
 イヴァンはゆっくりと起き上がった。伏せたままのプレーン姿勢は、敵に狙われる可能性を減らす。しかし視野が十分に得られず、不用意な接近を許すことになる。もしも次の瞬間目の前に現れれば?
 そう、その状態では鴨撃ちだ。撃ってくれと言っているようなものだ。
 イヴァンは起き上がる。しかし片膝をついた姿勢でアサルトライフルを構え、いつでも撃ちぬけるよう引き金に指をかけた。
 緊張が高まる。もう逃げ出してしまいたい。
 ここはロード・オブ・ヘブン。天国へ一番近い国境検問所。前任者だって殉死している。次がイヴァンの番だとしてもおかしくはない。
「!」
 ガラガラと、落石の音が響いた。反射的にイヴァンは引き金を引いていた。
 セミオートにしていた銃口からは、三発ずつ弾丸が発射される。手のひらから腕へそして肩へ胸へと、その反動は広がる。
 あぁ、怖い! 怖くてたまらない!
 初任地はロード・オブ・ヘブン。上官はアホのような優男。着任早々夜勤。不幸続きの連続で、そのうえ初日から戦闘に巻き込まれるなんて!
「この野郎!」
「!」
 すぐ近くにいる!
 イヴァンは息を飲んだ。
 訓練所で嫌というほど頭に叩き込んだし、エーレにも今しがた警告された。
 国境警備隊は準軍隊組織ではあるが、軍隊ではない。敵の殲滅を目的とした機関ではなく、検閲を担う機関だ。
 違法に国境を越えてくる人間を食い止めることこそ使命であり、殺すことが目的ではない。
 それでも武器を持つ人間が闇に潜み、自分を襲ってくると思うと恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
 心臓の音、呼吸の音。葉擦れの音、風の音。小さな小石が転がる音にまで、恐怖が膨れ上がろうとする。夜の闇の中で聞く音は、これほどまでに恐ろしい。
「っ、わぁっ!」
 闇夜を引き裂くように、拳大の石が飛んできた。思わず悲鳴を上げてしまう。
「っ!」
 鼓膜を叩く銃声が響き、そして胸に衝撃を受けた。
 細い棒で突かれたように、イヴァンの体は突き飛ばされるように倒れた。その衝撃に一瞬息が詰まる。防弾チョッキを着ていたから被弾はしていない。しかし撃たれたというショックが、イヴァンの体から敏捷性を奪う。
 起きて、すぐに銃を構える。訓練で嫌と言うほど叩き込まれた予備動作ができないまま、イヴァンは尻餅をついたままの姿勢でいた。
「撃て!」
 別の声だ。
「!」
 敵は複数だ。今はたまたま防弾チョッキに当たっただけだ。しかし複数の人間から一斉射撃を受けたらどうなるか?
 考えるまでもない。
 最大限に膨れ上がった恐怖に、イヴァンは顔を引きつらせ脱兎のごとく逃げ出そうとした。
『伏せて目と耳を閉じろ、デーナー』
 エーレだ。エーレの声が無線のイヤホンから聞こえた。
 落ち着いた冷静な声だった。逆らうことを許さない、そんな力があった。
 イヴァンはその場に伏せて目を閉じた。
「!」
 直後、闇を閃光が引き裂いた。スタングレネードだ。そうわかった瞬間イヴァンは、ごつごつとしたグローブをはめたままの手で耳を押さえた。
 屋内や夜間に効果を発揮するそれは、強烈な光で網膜を幻惑し、超高音域の爆音で三半規管を麻痺させる。
 不意打ちに食らうと、十数秒から数分近くの間は幻惑のために目が見えず、平衡感覚が麻痺しているため真っ直ぐに歩けない。また場合によっては気絶することもある。
『デーナー!』
 イヤホン越しにエーレの声を聴いて我に返った。逃げ出したいという欲求は、エーレの登場により吹き飛ばされていた。

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