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11 ロード・オブ・ヘブン

02 魔の手はそっと忍び寄る

 今日はイヴァンたち第八小隊の中の第一分隊が非番となっている。他の分隊は通常任務についているが、夜勤明けの分隊の姿も確認できるため、施設内はそう閑散としたものではなく、遠くから笑い声などが聞こえていた。
 ふと前方から同じ分隊のアードルフ・クラナッハが歩いてきた。イヴァンに気付くと片手をあげた。
「やぁ、イヴァン君。小隊長の彼女をナンパしていいの?」
 ニヤリと笑ってイヴァンをからかった。エーレの飼っている黒猫への認知度は、すでにそれで知れ渡っているらしい。イヴァンは苦笑した。
「ドアの隙間が開いていて、勝手に入ってきたんですよ」
「いけないなぁ、リーヴィちゃん。浮気がばれると小隊長が泣いちゃうよ?」
 イヴァンが新人であるということもあり、このロード・オブ・ヘブンではイヴァンより年下はいない。新人が初任地にロード・オブ・ヘブンへ配属されることは滅多にないらしく、そうした意味ではこの検閲所に新人がいるのは非常に珍しい事態となっている。
「うわぁぁっ!」
 目の前のクラナッハに気を取られていたら、背後から魔の手が忍び寄りイヴァンの臀部は撫でられた。それも尻の割れ目に沿ったいやらしい触り方で。
 その気色の悪さに悲鳴を上げて振り返ると、やはり同じ第一分隊所属のマティアス・ケルツがニヤリと笑って立っていた。わざわざ足音を立てないように気配を殺して忍び寄り、悪戯をしてきたのだろう。褐色の肌に白い歯が異様に目立っていた。
「隙あり兄弟よ!」
 この状況で兄弟と言われると、あらぬ誤解をされそうだ。それでなくともここは男所帯。猫を女性にカウントするなら、女性は今イヴァンが抱き上げているリーヴィしかいない、むさくるしいところだ。
 ケルツの「兄弟」という口癖は、割と誰にでもこう言っている。
「何するんでっわぁっ!」
「イヴァン君の息子にタッチ!」
 今度はクラナッハに股間を撫でられた。思わず後ずさり、廊下の壁に背をくっつけると、クラナッハとケルツが大口を開けて笑っていた。
「もう……」
 小学生かよ……
 思ったところで口には出せない。娯楽の少ないところだからか、それとも新人のイヴァンが彼らにしてみればいじりやすいからか、遊ばれているらしい。
「いやぁ、いい反応ですなぁ、マティアス君」
「処女だからウブなんだよ、兄弟は」
 完全に二人に遊ばれている。イヴァンはがくりと肩を落とした。
 処女ってなんだ、処女って……
 少なくとも童貞ではない。そう考えたところでイヴァンはまじまじと二人の顔を見た。
 まだ一週間程で、さほど隊員の人柄を理解しているわけではない。所属の分隊が違うと、名前すらわからない隊員もいる。
 そんな中で、彼らの嗜好など知るはずもないが、もう一度言うがここは男所帯だ……
 なんとなく臀部に緊張感が走る。
「えぇっと、お二人はその……」
 ゲイなんでしょうか? と聞いていいものだろうか、聞かないほうがいいのだろうか?
 仮に目の前の二人がゲイだとしても、イヴァンに然程差別意識はない。ただし自分がその対象となるなら別だ。
 イヴァンは女性が好きだ。ましてや普段からトレーニングを欠かさない、筋骨逞しい男の胸板に癒されるわけもない。
 微妙な表情で言い淀んだからか、二人はイヴァンの言いたいことを察したらしい。おかしそうに笑いだして、バンバンとイヴァンの肩を叩いた。
「俺は女の子好きよ? でもおっぱいは控えめなのが好き」
 そう言ったのはクラナッハだった。
「わがまま言うな、アードルフ。いいか、おっぱいたるもの平等に愛せ。例え貧乳でも清楚で可憐、巨乳には魅惑的な包容力がある。我々男性は女性のおっぱいに選り好みしてはいけない。すべてのおっぱいには夢と愛が詰まっているではないか」
 そう言ったのはケルツだ。
「名言だね、マティアス君! これからうちの分隊の指標に掲げたいよ。おっぱいたるもの平等に愛せ! ってね」
 異論はない。男ばかり集まっているからこその冗談に、イヴァンもつられたように苦笑した。
「そして兄弟よ。おまえはどんなおっぱいが好き?」
「はぁ? はぁ……普通に……」
 小さいより大きい方がいい。でも大きければいいというわけでもなく。それにおっぱいの大きさで恋愛するわけでもないので、別にサイズにこだわったことはない。
「それはいけない、イヴァン君。おっぱいたるもの平等に愛せとは言うが、それでも好みってあると思うのよ、俺は」
「そうだそうだ。普通って言い方はいけないな。普通に小さい、普通に大きい。どちらにも取れる。曖昧なことを言って逃げられるとは思うなよ」
 クラナッハに続いて、ケルフに責められる。しかしなぜ朝っぱらから下ネタで責められなくてはならないのだろうか?
「じゃ、大きい方で」
 イヴァンは適当に答えた。小さいよりは大きいほうがよかろうと。それにそろそろ腹も減ってきた。リーヴィもエーレの元へ返したい。
「あぁ! なにその投げやりな態度! イヴァン君ったら、おっぱいに対する侮辱?」
「してないです」
「兄弟よ、おっぱいを舐めるな。あ、いや、舐めるものか、普通! あっははは!」
 自分の発言がおかしくなったのか、ケルフは大声で笑い、イヴァンの肩をバンバンと叩いてきた。驚いたリーヴィがイヴァンの腕の中から飛び降りて振り返る。そのままどこかへ行ってしまうならそれもいいのだが、イヴァンを待つようにして見上げていた。
「じゃ、俺は小隊長のところへリーヴィを連れて行くので、これで」
 リーヴィをダシにして逃れようとすると、両側からがっしりと腕を掴まれた。何事かと思って二人を見比べると、今しがたまで下ネタで笑っていた表情は真顔になっていた。
「まぁ、今のは冗談だとしてな」
「うわっ!」
 もう一度ケルフに尻を撫でられた。男に尻を撫でられるなど、気色悪くてかなわない。
「気をつけろよ、兄弟。俺らは冗談ですむけどさ、やっぱりここは男しかいねぇから」
「えっ!? わっ!」
 そして今度はクラナッハが股間を撫でる。もういい加減にして欲しい。
「そうそう。こんな冗談ですまさない連中もいるからね。気を付けるんだよ、イヴァン君」
 一先ず今、最もイヴァンの脅威なのはこの二人なのだが、その二人に警告されているということは……
 考えてぞっとする。つまりイヴァンはそちらの方面の人間からすると……
 そこまで考えただけでも鳥肌が立つ。それでなくとも男所帯。寝室は六人部屋で就寝間際はパンツ一丁、上半身裸などざらにいるし、共同のシャワールームだって時間が決められているため、男の全裸など当たり前の環境だ。
 見られることが恥ずかしいわけではないが、そうした目線で見ている者がいるのかもしれないと思うと、途端に落ち着かなくなる。
「まぁ、そう言う事だから」
 そう言って二人はイヴァンを解放した。何事もなかったかのように笑い、ひらひらと手を振って歩き出す。二人が向かう先は共同の寝室とトレーニングルームがある。おそらくはトレーニングルームへ向かうのだろう。
 取り残され、茫然としたまま二人の背中を見ていると、リーヴィがイヴァンの足に体をこすりつけてきた。
 それに気付いたイヴァンはリーヴィを抱き上げて、当初の目的だったコミュニケーションルームへ向かって歩き出すが、今の発言が頭から離れない。
 イヴァンはまだここに来て日が浅い。誰がどんな性癖なのかまで知らない。自分が女性しか性の対象に見られないからといって、他も全員そうではない可能性だってある。
「嘘だろ……」
 心なしか、尻が寒い。
 もしもそうなったらどうしよう?
 全力で抵抗するしかないが、何せ屈強な男どもしかいない、ある意味閉鎖された空間に一年も閉じ込められるようなものなのだ。
「……」
 ぎゅっとリーヴィを抱いて、イヴァンは足早に歩き出した。

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