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04 ロード・オブ・ヘブン

 検閲所本部からやや離れたところにある官舎に戻る。大規模な施設を建造するにも、ここは山の上である。施設自体は節約に節約を重ねた小さな建物だった。
 例えば部屋は六人で一部屋。三段ベッドが向い合せになるだけの空間の他はない。荷物はすべてベッドの下に収納できるようになっている。男所帯特有の臭気漂う空間にいると、なんだか妙に地上が恋しくなってくる。
 基本的にこの場所は寝るためだけにあるようだ。コミュニケーションルームと名付けられた空間だけは広く、ソファーやテーブルの他にテレビが設置されている。ここで飲食したり、カードゲームで暇をつぶしたり、テレビを見て隊員は過ごすらしい。
 ちなみに食堂も狭い。長いテーブルに同じ幅のプラスチック製のベンチ。隣同士と腕が触れ合うこともご愛嬌という環境だ。
「………」
 そして食事は可もなく不可もない微妙な味。食べられなくもないが、好んで食べることは一生ないだろうという味だった。
 ただこれには理由があるらしく、標高の高い場所にあるロード・オブ・ヘブンでは、気圧の影響で沸点が地上とは異なる。そのため十分に加熱した料理が提供されない。それで味付けが貧相になるらしい。生鮮食品もあまり出回らないため、味付けが似たり寄ったりになることも原因の一つのようだった。
 いっそ全部をレトルトや缶詰にしたらどうだろう? そう思うがコスト的なことを考えると、それは無理なのだろう……
 イヴァンはビーンズスープを啜っていたスプーンを置いた。初日からこれほど絶望的な味と遭遇するとは。
 この味に慣れれば地上に戻った時に、何を食べてもおいしく感じられるようになるらしいが……何とも皮肉なことである。
「はぁ……」
 心なしか頭が痛くなる。
 こめかみを抑えて溜め息をつくと、隣に座ったポスティッヒが楽しそうに笑った。
「これくらいで参ってるんじゃねぇぞ? ここのひどさはこんなものじゃねぇ」
 そう言って、背中をバンバンと叩く。弾みでスプーンを取り落し、皿にぶつかって豆がテーブルの上に飛び出した。
 励ますつもりがあるなら、もう少し気分が浮上しそうな言葉にして欲しいものだ。どうしてより落ち込むような言葉を口にするのだろうか?
 自分はたまたま誰よりも呪われた環境にあるだけだろうか? それとも単にこのロード・オブ・ヘブンが、嗜虐心をくすぐる仕様になっているのだろうか?
 そんなことを考えていると、向かいの席に座った同僚が笑いながら覗き込んできた。
「でもまぁ、考えようによっては最初がエーレ小隊長でよかったじゃん」
 こいつは加虐属性でもあるのだろうか? この絶望的な状況を「よかった」と言いやがった。
 そんなまなざしを送る。
 初対面から黒猫と戯れている優男、それだけならまだよかったが、直接の部下にまでどことなくアホ認定扱いされているような奴と、それも着任早々から夜勤などという鬼畜非道な日程のどこがいいのだろうか?
「ほら、緊張しなくて済むし。ここがロード・オブ・ヘブンだと身構えてガッチガチになる奴ら多いよ? そう言う奴らは逆に過剰反応してミスをする。でもエーレ小隊長なら怖くないだろ?」
「怖くないというか、その……」
「アホ過ぎてコメントに困るか?」
 と、あまりにも正鵠を射たポスティッヒの発言に、同意もできないが否定もできず、中途半端な笑みを浮かべる。
「確かにあいつはアホだ。それは否定できない」
 ポスティッヒが自信たっぷりと言うので、ますますイヴァンは暗雲たる思いがこみ上げてきた。
「でも本当にただのアホなら、あの年齢で小隊長になんてならないさ。俺より年下だぞ。あいつはニドヒル独立国陸軍から、正式に入隊して欲しいというオファーが来ているんだ。もちろんそれには訓練やら必要になるわけだけど」
 国境警備隊は準軍隊組織ということもあり、軍隊を除隊した人間も中にはいる。しかし国境警備隊から国軍へ進む人間の話は聞いたことがなかった。
 そしてポスティッヒが言うように、ポスティッヒより年下のエーレが上官になるには、それ相応の実力、そして階級が上がるだけの功績でもなければ無理だ。
 猫と戯れることに真剣になっているだけの馬鹿を、軍隊が召集しようとは思わないだろう。
「まぁ、どちらにせよ、俺たちの分隊は今夜で夜勤が明けるから、着任早々の任務で辛いだろうが、明日は非番だ。今夜一晩、乗り切ってくれ」
 殺傷率の高さから、どれほど過酷で殺伐とした場所なのだろうかという不安はずっとあったが、今は死傷率の高さは能天気だからでは? という不安が胸に湧く。
 しかしどちらであるにせよ、今夜が最悪なだけだろう。のど元過ぎれば何とやらというではないか。
 明日が非番だというなら、明日じっくりと考えることができるはずだ。
 イヴァンは頭痛を和らげようと、こめかみを優しくもんだ。

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#小説 #オリジナル小説 #アクション #コメディー #準軍隊組織 #国境警備隊

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