有斐斎弘道館

京都御所の西、江戸時代に皆川淇園がひらいた学問所「弘道館」の址地に建てられた京屋敷。2009年にマンション建設計画がたちあがり、有志による保存活動を経て、現代の学問・芸術サロンとして再生。茶道、能楽、和歌などの、日本文化を通した企業人の育成など、ユニークな教育活動を行っている。

有斐斎弘道館

京都御所の西、江戸時代に皆川淇園がひらいた学問所「弘道館」の址地に建てられた京屋敷。2009年にマンション建設計画がたちあがり、有志による保存活動を経て、現代の学問・芸術サロンとして再生。茶道、能楽、和歌などの、日本文化を通した企業人の育成など、ユニークな教育活動を行っている。

    マガジン

    • はじめまして、皆川淇園

      勝冶真美が弘道館メールマガジンのために書き下ろした、皆川淇園を知るための、やさしいコラム。ヘッダー画像は、谷文晁による淇園のポートレイトです。 (東京国立博物館 http://www.tnm.jp/) [Public domain], via Wikimedia Commons

    • よそにない京菓子の話

      京菓子には、宮廷や茶の湯からもたらされた美的、文化的な魅力が凝縮されています。色・かたち、香りと味、舌触り、耳で聞く銘(菓子の名前)。五感のうち聴覚までを刺激する菓子は、世界で唯一「文学を内包した食べ物」ともいわれます。太田達のお話から京菓子の味わいと、そこに秘められた日本文化の多面性を聞く。弘道館のオンライン連続講座、「京菓子談義」をダイジェスト映像でお届けします。(お話:太田達/企画:濱崎加奈子)

    • 一休に会いたくて

      日本史研究者の戸谷太一が、日本一有名なお坊さん、一休宗純の人間らしさに惹かれ、その漢詩をよみときながら綴るコラムです。 画像『オトナの一休さん』nippon.comより

    • 祭を聞く

      篠笛「玲月流」主宰・森田玲は、祭を彩る笛の音色の変容に危機感をおぼえ、篠笛の製作から手掛けて自ら流派を立ち上げました。各地の祭をフィールドワークする中で、担い手の視点に立って祭の構造を解明。「神賑(かみにぎわい)」という独特の切り口と、「祭の音」からその文化を語る。日本的聴覚を起動する、新感覚の日本文化講座です。noteでは、森田玲による好評の講座を、ダイジェストコラムでお読みいただきます。 (企画:濱崎加奈子)

    • あるばむ茶会記

      有斐斎弘道館で開催した茶会記録。季節に応じて変える室礼、茶会のテーマを表すお菓子をお楽しみください。

    最近の記事

    京菓子展「手のひらの自然ー枕草子」2022 公募

    「枕草子を通して表現される小さな芸術」京菓子は、文学や絵画、和歌などを題材にし、また影響を受けながら、制作されてきました。 枕草子の世界よりイメージを膨らませ、新たな感性で表現した京菓子作品を募集します。 場や人に合わせて、一つ一つ意匠がつむぎ出される京菓子。京菓子のテーマや情景を小さな世界に作り上げる際には、和歌などの古典文学が、大きな役割を果たしてきました。 八年目となる本年は、千年以上も前に著された、清少納言の『枕草子』をとりあげます。四季折々を「春は曙」「夏は夜」

      • 分野横断ネットワークの人、淇園

         『皆川淇園とその仲間たち』 第12回 今回は、現代のお話し。最近行政の文化課の方と伝統文化の振興についてお話する機会がありました。日本の文化は元来、今でいう産業、芸術、文学といった分野ごとに区別されることなく人々の中にあったからこそ日本独自のユニークな文化が生まれてきたのでは、という話の中で、 行政としては産業課、文化課と分かれてしまっているので、そういう支援の仕方は難しいということでした。  行政の枠組みとしての可否はともかく、今こそ、民間で皆川淇園が築いたような分野

        • 浪速の知の巨人・木村蒹葭堂との交流

           『皆川淇園とその仲間たち』 第11回 前回は、古銭収集というマニアックな趣味を持つお殿様、朽木昌綱をご紹介しました。その朽木昌綱も皆川淇園も足しげく通ったのが文人、木村蒹葭堂 (きむらけんかどう/1736ー1802)です。  木村蒹葭堂は、詩人、作家、学者、医者、本草家、絵師、大名とさまざまな顔を持つ「浪速の知の巨人」です。10万冊ともいわれる膨大な蔵書を所蔵していた彼の元には、多くの文人、知識人が集い一大文化サロンを形成しました。死後、彼の蔵書は 一部散逸していますが

          • 淇園サロンから広がる、変わり者の輪

             『皆川淇園とその仲間たち』 第10回 今回は、淇園と同時代に生きた丹波福知山藩の第8代藩主、朽木昌綱(くつきまさつな/1750ー1802)を紹介します。淇園も相当な変わり者だったはずですが、この朽木昌綱もなかなかの人だったようです。  13歳頃より和漢の古銭の収集をはじめ、その後はヨーロッパ紙幣にまで手を広げたという、いわゆるコインや紙幣のコレクターでした。その情熱は相当なもので、38歳の時には17~18世紀のヨーロッパ紙幣をイラスト入りで詳細に図説した「西洋銭譜」を著

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          • 宗一郎 能あそび
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            言語研究で捉えた、実字虚字助字の構造

             『皆川淇園とその仲間たち』 第9回 皆川淇園は彼の唱えた「開物学」にもみられるように、言語研究においても大きな功績をのこしました。言語を構造的に捉え、 実字、虚字、助字、という三つに分類しそれぞれの役割について考察しています。  実字とは、具体的な何かを表す字(例えば犬・川・人など)、虚字とは実在の 物事を表さない字(例えば走、生、高、低など。主に動詞・形容詞・副詞)、助字は実字、虚字を助ける字で漢文にみられる也・焉・哉・乎・於・之・而などのこと。  特に助字について

            淇園が賛をしるした「竜の骨」(?)

             『皆川淇園とその仲間たち』 第8回 今回は淇園の一風変わった逸話をご紹介します。文化元年、近江国滋賀郡南条村の農民が竜の骨を掘り出しました。  農民はこれを膳所藩主に献上。その地名を「竜谷」と改めます。翌年、藩主は淇園に竜骨の詩を求め、その図を写生することを相談します。そこで淇園は友人の画師上田耕夫と膳所に赴き、耕夫に写生をさせ自身は賛をしるします。  「龍骨之図」としてみることができるその図は確かに龍の頭部のよう。もちろんこれは実際には龍ではな く、トウヨウゾウ、も

            四条円山派と淇園の縁を忍ばせる掛け軸

             『皆川淇園とその仲間たち』 第7回 京都の夏の風物詩といえば祇園祭。2014年は150年ぶりに大船鉾の復興、49年ぶりの後祭の復活と大いに賑わいました。有斐斎弘道館でも茶会 「祇園会の茶」を開催、祇園祭のしつらいで楽しんでいただきました。床には、木瓜紋の旗をさした3人の人物が描かれた軸を。  これは歌川豊秀、 吉村孝敬、松村景文の合作、という珍しいものです。豊秀は大阪の浮世絵師。滑稽本、洒落本の挿絵を描きました。吉村孝敬は円山応挙の晩年の弟子で、応門十哲のひとりにも数え

            琳派の時代の京都に思いを馳せて

            『皆川淇園とその仲間たち』 第6回 淇園の学問所跡で、現代における学問所として活動を行う「有斐斎弘道館」に、先日新たに伝酒井抱一の屏風が収蔵品に加わりました。酒井抱一は 江戸琳派を大成した絵師で、1761年生まれ。淇園(1734年~1807年)より少し時代がさがるものの、ほぼ同時代に活躍しました。  琳派 といえば、2015年は琳派400年の記念年にあたり、京都でさまざまなイベントや展覧会が開催されました。有斐斎弘道館 では、一足早く、琳派をテーマに京都の伝統文化のひとつ

            \京菓子デザイン公募受付中/

            京菓子展「手のひらの自然─徒然草」2021公募について新しいデザインの京菓子を公募より選出し、入選作品を展示する「食べられる展覧会」京菓子展「手のひらの自然─徒然草」2021です。 公募テーマは「徒然草」公募初年度から「琳派」「若冲と蕪村」「百人一首」「源氏物語」「万葉集」「禅―ZEN」というテーマで菓子展を進めて参りました。 7年目となる本年は、日本の優れた随筆の一つであり,江戸時代の文芸にも大きな影響を与えた兼好法師の「徒然草」を取り上げます。「徒然草」は,約700年

            『ちょっとここらで 一休み』 第3回

              犀 牛 扇 子 与 誰 人   行 者 盧 公 来 作 賓   姓 名 議 論 法 堂 上   恰 似 百 官 朝 紫 宸  応永十六年(1409年)、一休さん16歳の時の詩である。この詩が出来た経緯は、一休さんの伝記『東海一休和尚年譜』に記されている。「師十六歳、結制日、聞秉払僧喜記氏族門閥、掩耳出堂、乃作二偈、呈慕哲翁、々曰、今叢林頽靡非一柱可支、三十年後子言必行、忍以待之、(後略)」何やら難しい文章だが少々お付き合い下さいませ。これを訳すると、「師(一休)16歳、

            江戸のアンデパンダン、書画会を主催

             『皆川淇園とその仲間たち』 第5回 皆川淇園は、1972年から、「東山新書画展覧」という書画の展覧会をプロデュースしています。春と秋に開催されたこの展覧会は、誰でも出品 でき、絵の優劣を公平に世間の目にさらすことで書画の振興を図ろうとしたものでした。実際に京都の主要な画家はこぞって参加していて、毎回 200,300点もの作品が出品されていました。長沢芦雪、丸山応挙らも出品していました。  近代の日本における展覧会の走りともいえるもので すが、今で言うとさしずめアンデパン

            神賑(かみにぎわい)とは何か?

            有斐斎弘道館の講座「日本の祭と神賑(かみにぎわい)」でお話した中からテーマを選んでダイジェストでお届けします。今回は、第2回「神賑(かみにぎわい)とは何か?」(2021年6月20日)からの抜粋です。 祭の中の静と動 祭には、清らかで厳粛な「静的な」場面と、賑やかで々しい「動的な」場面とがあります。多くの場合、動的な場面をもって祭の特徴が語られますが、もちろん静的な場面も含めて祭です。祭を「静」と「動」の二つの局面に分けることは可能です。しかしながら、この手法では、例えば、神

            京菓子の歴史ー京菓子はブランド戦略?

            「京菓子」という言葉は、都が東京に都が移ってしまい、危機感を覚えた京都の人たちが、京都で作られたものをブランド化するために作られた言葉だった!? 「和菓子」ではなく「京菓子」という言葉を作り、茶道と結び付けることで、京都ブランドを確立する戦略だったのかもしれません。 👆詳しくは動画をクリック👆

            奇想の画家・長沢芦雪と豪遊!

             『皆川淇園とその仲間たち』 第4回 皆川淇園において特筆すべきことのひとつは、彼の幅広い交友関係です。丸山応挙や与謝野蕪村等、当時一流の文化人たちが淇園のもとに集っていました。  その中でも特に長沢芦雪は淇園と深い交流があったと伝えられています。芦雪は2011年にMIHO MUSEUMで大規模な展覧会が開催されるなど、近年評価が高まっている画家です。縦横無尽な筆遣い、画面にも現れる彼の自由闊達さが魅力で、私も好きな画家のひとりです。芦雪のそんな自由人なところが気に入った

            「名」と「もの」の関係性を音から探った

             『皆川淇園とその仲間たち』 第3回 皆川淇園は「開物学」という学問を創始したことでも知られています。しかし「怪物学」と揶揄されたように、難解すぎたその理論は当時も一般に理解されたとは言い難いようです。  開物学は「名」と「もの」の関係性を「音声学」や「韻学」の観点から明らかにしようと試みるものでした。例えば「仁」ということばが示す意味は 「仁」ということばそのものの中に隠されていると考え、ことばの意味とその発音との間の相関関係に着目しました。その独創的な理論は明解な体系

            応挙にも劣らぬ書画の達人だった

             『皆川淇園とその仲間たち』 第2回 有斐斎弘道館は皆川淇園が設立した学問所「弘道館」址にあります。でも皆川淇園って歴史の教科書にも出てこないですよね。そもそも何者なのでしょうか。  皆川淇園(みながわきえん)は、京都で1734年に生まれ、1807年に亡くなりました。江戸時代中期にあたります。儒学者(中国の孔子を始祖と する思想体系。日本では武士の学問として広く受け入れられた)であった淇園は亀山藩(現在の京都・亀岡)、平戸藩(長崎・平戸)、膳所藩(滋賀・ 大津)に藩の先生