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一休に会いたくて

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日本史研究者の戸谷太一が、日本一有名なお坊さん、一休宗純の人間らしさに惹かれ、その漢詩をよみときながら綴るコラムです。 画像『オトナの一休さん』nippon.comより
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『ちょっとここらで 一休み』 第3回

  犀 牛 扇 子 与 誰 人   行 者 盧 公 来 作 賓   姓 名 議 論 法 堂 上   恰 似 百 官 朝 紫 宸  応永十六年(1409年)、一休さん16歳の時の詩である。この詩が出来た経緯は、一休さんの伝記『東海一休和尚年譜』に記されている。「師十六歳、結制日、聞秉払僧喜記氏族門閥、掩耳出堂、乃作二偈、呈慕哲翁、々曰、今叢林頽靡非一柱可支、三十年後子言必行、忍以待之、(後略)」何やら難しい文章だが少々お付き合い下さいませ。これを訳すると、「師(一休)16歳、

一休が自慢した漢詩

  吟 行 客 袖 幾 詩 情   開 花 百 花 天 地 清   枕 上 香 風 寐 耶 寤   一 場 春 夢 不 分 明  一休さんの詩集『狂雲集』に出てくるこの詩は、「春衣宿花 周建喝食甲子十五歳」と題されるものだ。「吟じ行く旅人は詩情にあふれ、咲いては乱れ散る花びらで天地は清らかである、枕の上に漂うその香りは寝るともなく覚めるともなく、これはいったい春の夢なのだろうか」。拙いながらも自分なりに訳させてもらった。これは一休さんがまだ15歳、一休ではなく周建と名乗って

日本一有名なお坊さん

『ちょっとここらで 一休み』 第1回                                     皆さんは、一休さんをご存じだろうか?  なにを言う、知っているに決まってるじゃないか! と怒られる方がいるかもしれないが、それももっともである。一休さんは、恐らく日本で一番有名なお坊さんであろう。いや、最も愛されたお坊さんと言った方がいいかもしれない。有名なお坊さんなら他にもたくさんいる。空海、最澄、法然、道元、栄西…数えあげればキリが無いが、歴史の教科書に出てく