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医学者も多かった、淇園の門弟たち

 『皆川淇園とその仲間たち』 第13回

儒学者・皆川淇園が1806年に設立した学問所「弘道館」。

 そこに通い、学んだ門人は名前が分かっているだけでも1300人を超え、一説には3000人とも言われています。淇園の門人には医学に関わるものが多いのが特徴で、「最後の儒医」と言われる百々俊徳(1774~1839)、上方蘭方医の祖・小石元 俊(1743ー1808)らも淇園に学んでいいます。典薬寮医官(官人への医療や医療関係者の養成、薬園等の管理を行う)・北小路貞隆の養子で儒学者であった北小路竹窓も淇園の門人のひとりです。彼は淇園の元で学んだ後、庶民教育機関である「教諭所」を設立し、京都の人々の教育に大きな貢献をしました。

 淇園の教育は門人たちを通して脈々と受け継がれているのです。

                            (勝治 真美)

                        【2015.3.15 嵯峨野文化通信 第219号】

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