淇園が賛をしるした「竜の骨」(?)
『皆川淇園とその仲間たち』 第8回
今回は淇園の一風変わった逸話をご紹介します。文化元年、近江国滋賀郡南条村の農民が竜の骨を掘り出しました。
農民はこれを膳所藩主に献上。その地名を「竜谷」と改めます。翌年、藩主は淇園に竜骨の詩を求め、その図を写生することを相談します。そこで淇園は友人の画師上田耕夫と膳所に赴き、耕夫に写生をさせ自身は賛をしるします。
「龍骨之図」としてみることができるその図は確かに龍の頭部のよう。もちろんこれは実際には龍ではな く、トウヨウゾウ、もしくはナウマンゾウなのですが、当時この骨の出土はよほどの衝撃をもって受け止められたのでしょう。図では上顎と下顎の骨を うまく組み合わせていて今見ても龍の神秘的な雰囲気が伝わってきます。
今淇園と耕夫が真実を知ったらきっと驚くでしょうね。
(勝治 真美)
【2014.9.15 嵯峨野文化通信 第207号】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?