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心地よい空間

いつだって心地よい空間を求めている。そう思った。
自分が落ち着いて、安心していられる場所を求めていろいろな場所に行ってみて、ここは合わない、合うのだけれど人が多い。もっと静かだったら完璧なのに。なんて彼女から出てくるいろいろな要望に合う場所はなかなかない。なにも考えることなく、人の目を気にすることなく、気持ちの良い空間で2時間ほど読書に夢中になれるような場所は東京には本当に限られた場所にしかなく、それを見つけるために調べて出かけることは彼女の日常になっていた。これまでにここは良いと見つけてきたお店は多くはないけれどそのリストは彼女が東京で生活した確かな証拠で、唯一と言っても良いくらい他人に誇れるものだと感じていた。決して他人に見せたりすることはないのだけれど。

年末の、12月25日の休日のカフェはいつもより空いていて、いつも座りたいけれどいつも誰かが座っていて座れない席が空いていて嬉しくなる。他の席と離れたその席だけの空間があるその席は、でも階段の前にあるから人通りは多い。他の席からぽかんと離れている居心地の良さというか広いフロアなのに周りに誰もいないそんな席が好きだと思いながら持ってきた本を鞄から取り出してコーヒーを一口飲んだ後から読み始める。本を読み始めたとき聞こえるフロアの話し声。文章を読み進めて、どんどんその本の中に溶けていくような感覚とともにフロアの話し声は聞き取ることのできる声ではなくてただ聴こえる音になり、最後にはまったく聞こえないかのような、気にならないものになるのが毎回不思議で、本を読むときにそんなことが起こっているのを意識的に感覚できるようになり、毎回それを感じながら本を読めることを一人だけの愉しみとして誇らしく思っている。

煙草を吸っているのは彼女にとっては当たり前のことで、それは食べたいものを食べることと同じように当たり前の選択で、それ以上でも以下でもなかった。この先ずっと吸い続けるということもあるだろうし、あるときやめようと思って吸わなくなることだってあるだろう。でもいまは吸いたいと思うし、明日だってそうだろうということだけははっきりとわかる。そうやって自分で選んで生活して、選んだことに対しては責任を負いたいと思っていた。だから責任を負えないことはやらないことにしている。例えばお酒とか。

煙草を吸える居心地のいいカフェは少ない。東京でペットと同居ができる物件を探すのと同じくらいにその数は少なくなってしまう。猫と暮らしながら煙草を吸う自分はどこにいくにも生きづらい、掘り出し物のような情報をかき分ける努力をしなければ望むものが手に入らない、東京は厳しいとつくづく思わせられる。煙草も猫も選ばなければきっともっと居心地のいい空間を見つけやすくなるのだろう。けれど、そんな選択をしたとき、果たして楽しいのか、と思うから仕方ないというのが何回も何回も考えて辿り着いた彼女の結論だった。

だから彼女はまだまだ居心地のいい空間を探す努力を惜しむことはなかった。


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