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蚊がいる

考えても仕方のないことをぼうっと考えているような気がしているけれど、きっとそれは考えていないことと同じなのだろうと冷めた目でどこからか私を見ている。あいまいなことがらとはっきりとしていることは歴然として違う。あいまいなことはあいまいであるあいだ、考えられない。考えているように感じているのだけれど、まるでどろどろしているだけの具材が入っていないスープをかき混ぜるみたいにそこにはなにもないまま。だけれど、かき混ぜるということはしているから何かをやっている、考えているというなんとなくの実感はあるようで、つまりそれはとりとめのない些細なことで思い悩んでいるようなものなのかもしれない。

8月のくっきりし過ぎて痛い太陽の光を浴びたら少しはもやもやしたものがはっきりとするのではないかと思って表に出てみるけれど、ただただ肌に湿気がまとわりついてあっという間に霧吹きをかけられ続けているみたいに汗まみれになる。光で肌は損傷していき時間が経つほど体がだるくなる。自動販売機で冷たいお茶を、お金を入れて出てきたお茶はちょっとぬるくて、でも500mlのそのお茶を一度に飲めてしまうほどに体が水分を求めていたことに気づいて少しほっとする。

公園の、ちょうど良い日陰になっているベンチが空いている。
疲れたからそこでちょっと休憩しようと座って、心地よい風が吹いてきて木の葉が擦れあってその音が夜まで鳴り止まない蝉の声と重なり合って夏をしみじみ感じる。サンダルを履いた足元から痒みが襲ってきて、ぼうっと座っていた私は蚊の餌食になっていたことにようやく気づく。少しは夏を見直そうと思えていた気持ちは一気に萎えてしまい、それは小さな生き物によってもたらされたもので、ああ、こんなに小さいのに蚊は蚊の何倍も大きい生き物の心に干渉するのだと切なくなる。

心地は良いけれど蚊がいるベンチはもう心地よくなく、立ち去るときにやっとそこに人が座っていなかったことに気づいてわざわざ喜んで蚊に食事を提供してしまった自分のうすぼんやり加減を感じながら、一歩一歩踏み込む足には振動が伝わってその振動は刺された皮膚の痒みをちょうどよく刺激して私の思考は歩く距離に応じて痒みに侵食されつつあり、痒みの不快はまるで仲間を求めるかのようにさっきまで心地よく感じていた強い太陽の光、肌にまとわりつく湿気、鳴り止まない蝉の声を私にとっての不快に変えてしまった。


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