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どんなに忙しくても、学ぶこと自体を心から楽しめる人に私はなりたい(『論語』雍也篇)

今回取り上げるのは『論語』雍也篇からの言葉。

其の楽しみを改めず
(読み:ソのタノしみをアラタめず)

『論語』雍也篇

環境や境遇が変わっても学ぶ楽しみを忘れない、という意味。

孔子が、彼の優秀な弟子である顔回の在り方を述べた言葉です。

顔回は普段の食事も質素で、路地裏にひっそりと住むような清貧な人物でした。

普通の人であれば貧しい環境と質素な食生活に憂鬱な気分になってしまいそうですが、顔回はそんな環境でも道を求めて学ぶことに楽しみを見出していました。

孔子も彼の在り方を高く評価してベタ褒めしています。

賢なるかな回や
(読み:ケンなるかなカイや)

『論語』雍也篇

なんと素晴らしい人なんだ顔回は、という意味です。

孔子先生が手放しで褒めるほどですから、顔回は本当に心から学ぶことを楽しんでいたのでしょう。

新しい知識を得たり、できることが増えていくのはとても楽しいものです。

ですが、環境が変わって日々の生活に追われるようになってくると、学ぶこと自体が苦しくなることがあります。

あれもやらなきゃ。
これもやらなきゃ。

そんなふうに時間に追い立てられていると、次第に学びに時間を使うことが勿体無いような気がしてきてしまうのです。

本来学問とは、自分の視野を広げて新たな可能性をもたらしてくれる、とても前向きなもののはずなのに・・・。

私が学ぶことの楽しさに気づいたのは大人になってからなのですが、そのときにはもう、学びに使える時間が少なくなっていました。

平日は夜まで仕事をし、土日は疲れて寝てしまう。
空いた時間は家事や用事をこなして、気がつくとまた仕事。

そんな日々を過ごすうちに、何をするにもタイパ(タイムパフォーマンス)を考えるようになってしまったのです。

投資した時間に対して明確なリターンがあるか?
他に有効な使い方があるのではないか?

いつの間にかそんなことを考えるようになってしまった自分が嫌になります。

私も顔回のように、どんな状況であっても学ぶことを楽しめるような人になりたい。

残業を終えてnoteを書きながら、そんなことを思いました。

其の楽しみを改めず
(読み:ソのタノしみをアラタめず)

『論語』雍也篇

環境や境遇が変わっても何かを学ぶ楽しみを忘れない、という言葉。

学ぶことを楽しむためには心にゆとりを持つことも大事だと思います。

日々忙しくてなかなか時間が取れないことも多いのですが、少しずつでも何かを学ぶための時間をとって、ゆっくりと学びを続けていきたいです。

ひとまずは読書の時間を確保しようと思います。


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