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【現代ファンタジー小説】祓毘師 耶都希の復讐(11)処理される者-2

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 閉じていた目を見開いた時、眼球は血走っていた。小粒の水滴は額全面を潤わせていた。首すじは汗ベタの状態だ。
 悪夢でも見ていたのだろうか。唸りながら目覚めた男は、現実の居場所を理解しようと試みている。首を右側に回し、並列で寝ている者たちの存在を確認した。

 少々安心した様子で体勢を仰向けに戻し、灯りのないダークグレーの天井を見つめた。

 安堵は束の間で、男の目には前頭前野を揺り動かす刺激物が現れた。凹凸のない天井から浮き出てきた3G的歪み。上瞼に力を込め、視力を調整した。輪郭が明瞭になってきたことで理解した。女型の顔。

 左手で両目を擦《こす》る。驚きを感じつつも、鼻筋の通った綺麗系の女に釘付だ。
 首の汗は重力に沿って、何度も流れた。

「ゴクッ」

 喉仏《のどぼとけ》に響く僅かな音。それが合図だったようだ。天井から現れた美女は両目を寸時に開き、白眼球の中央の黒点が男を睨んだ。

「ぅわあっ」

 同部屋の四人が目を覚ます。

「全くぅ、何だよ?」
「どうしたんだ?」

 敷き布団から上半身を浮かし、寝ぼけ眼で声の主を探す。トイレに近い端で寝ていた青年であることは、すぐに判明した。彼の震える腕と人差し指が天井を指していたからだ。四人はついその方向を見た。

「何にもねぇじゃねえかぁ」
「夢でも見てたんじゃねぇの」

 錯覚とされてしまった男は「さっさと寝ろ」のコトバに従うしかなかった。鉄格子部屋で叫んだ青年は年齢的にも一番若く、かつ入所も浅く、逆らうことなど出来ないからだ。
 天井を見ないよう、横向きで眠りについた。しかし、一時間も経たないうちに目覚めることになる。

「うわぁああ〜」

 上体を起こした若者の呼吸は乱れ、脂汗が全身を纏っていた。顔、首元、そしてシャツはビッショリ。口の中はカラカラだった。

「ったくぅ」
「ぅっせぇなぁ〜」

 同部屋の者たちは怒りを加えた。しかし顔を向けるだけで、無言の青年。謝る気配すらない。息を飲むように荒れた呼吸を、無理矢理収めている。
 俯き加減の彼の目は、別のものを捉えてしまう。掛けている灰色の毛布に斑点が一つ、また一つ。上から何かが垂れていることに気づく。怖々の表情でゆったりと顔を上げてみた。視点が天井に定まった時、斑点の正体が判明。浮かび上がる女の口元と目尻から、流れ出る血だった。

「わわわわわっ」

 反射的な背面歩きで、壁まで逃避した。僅か半歩ほどだったが。

「いい加減にしろよなぁ」
「てめぇ、どつくぞ」

 怒鳴り声より、天井で3D化したもののほうが怖いようだ。先輩に謝ることもなく、背中を丸め膝を両腕で抱え、ただただ震えていた。
 青年は悪夢のみならず、覚醒時の幻覚で眠れぬまま、朝を迎えた。

 彼の体験は終わりを見せない。それどころか、幻覚はさらにヒートしていく。
 食事中の料理からは鮮血が湧き出る。錯覚だと思い我慢して一口食べても血の味しかしない。喉を通らず捨てた。血臭い水さえも飲めないでいた。結果的にその日食することはできなかった。
 トイレに行けば、便器からボサボサ髪の頭が出てくる始末。
 昼間作業していても、幻覚は現れた。追い払おうと作業用金槌で壁を叩き、作業台を叩き、空中で振り回した。何度も刑務官に怒鳴られ、取り押さえられた。仕事にならないため、昼前に医務室で休むことになるが、悪夢が襲う。結局は眠れず、頭から毛布を覆い、激しく震え続けていた。

 夕方雑居房に戻っても、収まることはない。
 仮装パーティーのお面を思わせるほどのゾンビ女が、何人も現れていた。天井に出現した顔は滑るように移動。逆さで壁を降り、床では頭部ごと現れ、青年の傍に集合した。
 消灯時間後、幻覚のみならず幻聴まで。毛布で視野を妨げても、聴こえてくる女の声は防げない。
 目を瞑っていても暗闇に出現する女の亡霊たち。耳を塞いでも女の罵倒声と笑声の合唱。
 青年は囁くほどの声からボリュームを徐々に上げ、叫んでしまった。

「やめてくれ〜 やめてくれ〜 お願いだから〜……もう、やめてくれよ〜!」

 精神的に病んだ彼を無視して寝ていた先輩らだったが、堪忍の緒が切れた。一人が毛布で隠れる彼から、それを取り上げた。周囲が露わになった青年に視えるのは先輩囚人ではなく、両目と口元から流血しているセミロングの中年女だった。

「てっめぇ〜、いい加減にしろよぉ。やめて欲しいのはこっちのセリフだあああ」

 彼の横腹に蹴りが一発。痛みで踞《うずくま》る若者の背中を、憎しみを込めて踏みつけた。

「お前ら、何やってるんだぁ!」

 刑務官らが鉄格子の外に立っていた。他の囚人に暴行を止められ、その場は収まる気配だった。しかし踞っている男は……

「あ、あいつ……あ、あの女だ……や、やば」

 何かが、切れた。

「うおおおおお〜」

 突然立ち上がり、充血した目で四人を睨む。先輩四人も男を怪訝《けげん》そうに睨んでいた。青年の目には、四人の囚人服を着た同顔の流血女しか視えてなかった。

「死っねぇえええ〜」

 若い囚人は、四人に次々と襲いかかる。蹴る、殴るの連発。二人の先輩が抑えようとするが手に負えない状態だ。ケンカ慣れしているのか、殴られても倒れても攻撃の手を緩めない。
 四人に怪我を負わせた。

 入室してきた三人の刑務官に抑えられ、医務係によって尻に注射。鎮静剤が効き始めた頃、独房へと連れて行かれた。
 薬で眠るも悪夢や幻覚、幻聴などは続いているのか、魘されていた。

 翌朝、四十度を超える発熱、急激な血圧低下がおきた。恐怖で心身異常をきたした青年は、病院へ救急搬送されてしまう。

 そして昼前、死亡が確認された。死因は心不全とされたが、古株の刑務官や古い囚人らの一部では、「またか」と細々噂した。

 怨みと怒りをかった、24歳男の末路である。

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 三浦耶都希の母の仇は、依頼してから二日後の4月19日に達せられた。念願の復讐が成就されたのだ。心の大きな闇から解放される日、になるはずだった。難しかった。自らの命を懸けることができなかったからだ。

 19歳になる歳の春めく日。新たなる闇と使命を背負って、生きることになった。

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