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人でなしの心のありか。

「人でなし」
人情の欠落した人、酷薄な人、冷酷非道な人、という意味で用いられる表現。人ならば誰しもが持ち合わせていると言い得るような優しさや思いやりの心を持ち合わせていないかのように振る舞い、他人には常に情け容赦がない、といった人を評する言葉として用いられる。(実用日本語表現辞典より)

2019年10月にうつ病と全般性不安障害になった。私の心を折ったのは人であり、心を救ってくれたのも人だった。人とは何なのか。心とはどういうものか。私は寄り添ってあたたかい言葉をかけてくれる人と出会った。この世には血が繋がらなくても、体温を分け与えてくれるような人がいるのだと感動した。

その一方で、血が繋がっても心が繋がらない人もいた。ニュースでは、人が人の尊厳を踏みにじっていた。それは正義という言葉の下に行われる暴力もあれば、権力で人をすり潰すこともあった。美辞麗句を並び立てても、権力のおぞましさは染みついた煙草の臭いのようだ。飾り立てた向こう側から流れてくる不快さ。人でなし。人の心はどこにあるんだ。どうしたら人を物のように扱えるのか。そう問いかけたかった。

しかし、人でなしなどと言い立てる私はどうなのか。あなたは人ではないなんて、これこそ暴力的で差別的な発言ではないだろうか。そもそも人の心とは、あたたかさと冷たさを包摂しているものではないか。私が怒りと悲しみに向けて人でなしと叫んでいるのと同じように、あたたかさをくれた人々の舌をめくれば、辛酸をなめた冷たい裏側が現れるのかもしれない。月のように表だけを見て美しいと感じている私こそ、人の皮をかぶっているだけの獣なのではないか。

それでも、正義があれば誹謗中傷していいと思う人は違う。ましてや権力によって人の心を踏み潰す人も違う。私は断じてそれを許すことはできない。人が亡くなって、その原因を追究せずに幕引きを図る組織など、人のための組織として破綻している。人が人でなくなる。誰かを犠牲にして終わりにするのなら、また悲劇は始まるだろう。自分も相手も人であると、人の間にある尊厳を守ることを考えなければ、誰かが人でなしになる。順番は回ってくる。その時に人でいられるのかどうか。自問自答し続けろ。言葉の刃は自分にまず向けろ。切れない方を相手に差し出せ。包丁の刃を向けて人に渡さないのと同じだ。見えないからって、その刃がなかったことにはならない。

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