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天照大御神様と小船で…そのとき重臣たちが!? 元伊勢七六 神話は今も生きている ことの葉綴り四〇五

長旅終えてお宮に

こんにちは。「ことの葉綴り」を訪れていただき嬉しいです。
お一人お一人「最善でありますように」と祈ります。
長旅を終えて、お宮に到着して、明日の春季例祭の準備です。
PCから更新できるか、電波も心配で(苦笑)。
今日は、短めに! 明日は……更新できないかも……。

早速、今日も神話の物語に入ります。
これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました


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皇太神の宮処を求めて

天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの「元伊勢」の物語
倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、伊勢の「伊蘇(いそ)の宮」に、天照大御神さまを、ご鎮座申し上げてお仕えなさいました。
そのときのことです。南の山なみをご覧になり「あの南の山の尾根を見ていると、皇太神(すめおほかみ)さまをお祀りするのに、この伊蘇の宮よりも、良い御殿のところがあるように思ふ」と、仰られて、大若子命(おほわかごのみこと)に、お祀りする場所を探し求めるようお命じになられます。

倭姫命(やまとひめのみこと)さまも、素晴らしいお宮処を探し求めるために、「伊蘇の宮」近くの川から、天照大御神さまのご神体を恭しく大切に頭の上に乗せながら、小さな船にお乗りになられました。

御船(みふね)に雜(くさぐさ)の神財(かむらから)並びに忌楯桙等(いむたてほこども)を留め置きて、小河(をがわ)従(よ)り幸行(みゆき)したまひき。
其の河にして、御船後(みふねさが)り立ちき。
尓(そ)の駅(はゆま)の使ひ等、「御船宇久留(みふめうくる)=後る」と白しき。
其の処を「宇久留(うくる)」と号(なづ)けき。

たくさんのご神宝(しんぽう)や、ご巡幸の際に、旅の安全を祈るために用いる楯(たて)や鉾(ほこ)などを、御船(みふね)の中に残して置かれて、倭姫命さまは、天照大御神さまと共に小さな船で、小川を進んでいかれます。
伊勢の国にお鎮まりになられましたが、倭姫命さまは、伊勢の中でもさらに、良き宮処をと思われたのですね。

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宇久留(うくる)と叫ぶ重臣たち!?

このとき、ご神宝(しんぽう)を残してきた御船(みふね)の進みが遅れていきます。川の流れを遡ることで、宝物や楯、鉾を積んだ重さでしょうか、
船の進みが遅れただけでなく、御船は立ち止まってしまったのです。
それを見た御船を曳いていた従者である「駅使(はゆまのつか)ひ」たちは、こう叫んだのです。
あ~これでは、船が宇久留!!!!~

宇久留って、うくるとよびます。
どう意味でしょう?

う く る~ おうくる~ おくれる~~遅れる~です(笑)

「遅れる~」とか、船が「下がっていってる~」と叫ばれたのですね。
そりゃあそうですよね。

宇久留~宇久留~~~」と叫ばれた「駅使(はゆまのつか)ひ」も
これまでにも登場しているのですよ。
そのときは「御送駅使(はゆまつかひ)」こと、「五大夫(ごたいふ)として紹介されています。

阿部臣、和珥臣、中臣連(むらじ)、物部連、大伴連の祖先たちの、倭姫命さまの側近の重臣たち。
阿部武淳川別命(あべたけぬかわわけのみこと)をはじめ五柱の神
で、ご巡幸の旅の先々の安全を守り、その土地でお米作りも伝承していました。

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“宇久留・珍事件”発生?!(^^)

倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、これまで、ご巡幸の旅の多くを、「御船(みふね)」に乗られて旅をされてきました。
今、倭姫命さまは、天照大御神さまのご神体をご自身の頭上に大切に大切にお載せになり、いつもの御船から、小さな船に遷られて、すでに川を進んでいってらっしゃいます。
そこから、遅れをとるなんてこと、まったく思いも寄らぬことだったのではないでしょうか?!

側近中の側近の、重臣の神たち!!!
小舟に遷られた倭姫命さまと、天照大御神さまと、いきなり離れてしまい、自分たちの船は動かないし、逆に川を逆行している、止まってしまうし、距離はどんどん離れていってしまって!!!
そりゃあ、一大事の大騒ぎですね。

そりゃあ、焦りますよね~鬼ヤバですよね!!
叫びたくなる気持ち、わかりますね(笑)
今回は、そんな“珍事故”の巻でした。

ちなみに、この場所は「宇久留」と、名付けられのですって。

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―次回へ
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