神祀りに捧げた一生 初代斎王 豊鋤入姫命 元伊勢十六 ことの葉綴り 三四二
にこにこ(^^)笑顔の日
おはようございます。今朝、夜明け前、ふと見上げたネイビーブルーの空に、ま半分のお月さまが、輝いていて美しかったです。ちょうど「下弦の月」だったのですね。
そして二月五日は、「にこにこ」の「笑顔の日」だそうです。
笑う門には福来る。
一日にどのくらい笑っていますか?
コロナ禍で、在宅が続いても、1日に一度は、笑いたいですね。
「ことの葉綴り」は、340回を超えましたが、この2回目に、
「一日一生、一分一笑」なんて、ことを綴っていました(^^)。
神の御杖代として一生を捧げて
さて、神話の物語の続きです。
天照大御神さまが、伊勢の神宮にお鎮まりになるまでのご巡幸の「元伊勢」の物語です。
第十代の崇神天皇(すじんてんのう)の皇女、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、皇室の祖神である、天照大御神さまのご神慮をうかがう、御杖代(みつえしろ)となり、
お鎮まりになるところと求めて、ご巡幸を続けられました。
倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に、33年、
丹波の「吉佐宮(よさのみや)」に4年、
倭の「伊豆加志本宮(いつかしのもとみや)」で8年、
木國(紀伊)の「奈久佐濱宮(なぐさのはまのみや)」に3年、
吉備の国、「名方濱宮(なかたのはまのみや)」に4年。
そして、崇神天皇の御代の58年、辛巳(かのとみ)の年に
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、ふたたび
倭へ戻られ、弥和(三輪)の御室の嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)にお遷りになられて、天照大御神さまを、二年間お祀りされました。
全身全霊で、大神様の身杖代として祭祀をとりおこなうこと、五十四年。
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの、お身体はもう、限界に達していらっしゃったのでしょう。
そして、大きな決意をなさいます。
「私はもう、ずいぶんと長きにわたり、大神様をお祀りして参りました。
けれど、まだ日が足りませぬが……私はもう、齢も重ねましたゆえ、これから先は、もう祭祀はできないと思います」
魂の使命を委ねた姪の皇女、倭比売命
その時、姪(いも)倭比売命(やまとひめのみこと)に
事依さし奉り、御杖代(みつえしろ)と定めて、
此れより倭姫命、天照大御神を戴き奉りて行幸(みゆき)す。
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、
姪である倭比売命(やまとひめのみこと)さまに……、
こちらは、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの母親違いの弟、のちの第十一代、垂仁天皇の第四皇女で、姪っ子にあたります。
この姪の倭比売命(やまとひめのみこと)さまを、ご自身の後継者として、御指名なさって、皇祖神の天照大御神さまの御杖代となり、大神さまの祭祀をとりおこなう斎王の使命を、委ねられたのです。
ありがとう、豊鋤入姫命さま
ここまで綴ってきて、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さま。
“ほんとうに、おつかれさまでございます”と、頭をたれたくなりました。
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまが、天照大御神さまの御杖代として、大神さまの祭祀に、ご巡幸の旅に、五十四年の歳月、人生を、いのちをかけてこられたこと。
御杖代は、誰でもいいものではないと思います。
同じ崇神天皇の御代、倭大國魂神をお祭りされた、皇女の渟名城入姫命さまは、髪の毛が抜け落ちていきお身体もお痩せになって体力を失い、大神さまの祭祀をすることができなくなられました。
それを思うと、54年間、見ず知らずの土地土地へと旅をしての祭祀とは、いったいどれほどのことなのか……想像を絶します。
豊鋤入姫命さまの、ご巡幸された六つの「元伊勢」のお宮。
そこで積み重ねられた、祭祀の日々の積み重ね。
我が身をなげうって、天照大御神さまの御杖代としての魂の使命を果たされ続けた初代、斎王。
豊鋤入姫命さまがいらしたからこそ、この功績があったからこそ
皇祖神の天照大御神さまが、お鎮まりになる聖地を探す、その尊い志、苦難の旅路のご巡幸は、
姪っ子の倭比売命(やまとひめのみこと)さまへと、受け継がれて……時を超えた今の私たちも、お参りすることができる、伊勢の神宮へとつながっていくのですね。
ただ、ただ、豊鋤入姫命さま
ありがとうございます。
にこにこ笑顔の日の今日は、
豊鋤入姫命さまに手を合わせて
「ありがとうございます」
と、微笑みながら、感謝のこころの祈りを捧げたいです。
―次回へ
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