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躑躅の名所「磯神社」更なる宮処を求め元伊勢七五 神話は今も生きている ことの葉綴り四〇四

お釈迦さまの生誕日

こんにちは。「ことの葉綴り」を訪れてくださり、ありがとうございます。お一人お一人に感謝と、幸多かれと祈ります。
今日は、お釈迦さまのお誕生日を祝う「花まつり」灌仏会がおこなわれています。
京都の「知恩院」さんでも、美しいお花を飾った花御堂(はなみどう)に、甘茶を注いで、お釈迦さまの生誕をお祝いすします。
お釈迦様がお生まれになったときに、天が甘露の雨を降らして、ご生誕を祝福したことに由来するそうです。

また、「知恩院」さんでは、4月18日に「ミッドナイト念仏in御忌」がおこなわれて、動画配信もあるようですよ。すごい。
こちらは、毎年4月18日~8日間おこなわれる「御忌大会」の初日に、三門楼上で、夜通しお念仏をお唱えされるもの。

今年はライフ配信があるそう。
しかもライブ配信に合わせて、「木魚」を打ち、オトナエ(お称え)できる?! すごい(^^)

さて、私は今日はこれから遠距離旅で、神社の春の例祭の奉職へと向かいます。その前に、神話の物語を綴ります。

倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、皇祖神の天照大御神の御杖代(みつえしろ)となり、伊勢の神宮にお祀りするまでの物語です。
※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。


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躑躅(つつじ)の名所「磯神社」さん

垂仁天皇の御代、二十五年の春三月、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、伊蘇(いそ)の宮に、天照大御神さまを、ご鎮座申し上げて、皇祖神にお仕えなさいました。
この「伊蘇の宮」の比定地が、伊勢市の「磯神社」さんです。
伊勢湾にそそぐ外城田川(ときたがわ)の河口近くの中州にご鎮座されていて、またご巡幸のときに、倭姫命さまが、天照大御神さまを大切に奉り、御船から陸地へと上がられた場所には、現在も鳥居がたっています。

「磯神社」さんの周囲は、春になると、ピンクや白の約300本の「躑躅(つつじ)」が満開となる名所として知られています。
ご祭神の天照大御神さま、豊受毘賣神(とようけひめのかみ)さま、木花佐久夜毘賣神(このはなさくやひめのかみ)さまの、女神さまたちも、その美しさを喜ばれているでしょうね。
二千年以上前、倭姫命さまも、この躑躅をご覧になられたのでしょうか?

4月下旬から5月あたまが、いちばんのみどころなのですって!
ゴールデンウィークに、まさに見どころですね。
磯町は、のどかな田園風景が広がっていて、また町の皆さんの、神宮への想い、崇敬はとても篤いようです。

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さらなる良き宮処を求めて

時に、倭姫の命詔(の)りたまはく、「南の山の末(は)を見給(みたま)へば、吉(よ)き宮処(みやどころ)有る可(べ)く見ゆ。」と詔(の)りたまひて、御宮処覔(おほみやどころま)ぎに、大若子(おほわかご)の命を遣はしき。
倭姫の命は、皇太神(すめおほみかみ)を戴(いただ)き奉りて、小船(をぶね)に乗り給う。


それから倭姫命さまは、こう仰られます。
あの南の山なみの山麓を見ていると、(ここよりも)もっと、皇太神(すめおほかみ)さまにとって、よいお宮処があるように思います
そして、天照大御神さまをお祀りされるお宮処を、探し求めるために、大若子(おほわかご)を遣わされました

倭姫命さまは、天照大御神さまのご神体を、恭(うやうや)しくつつしんで、頭の上にお乗せになり、小さな船にお乗りになりました

倭姫命さまが、この小船にお乗りになられたのも、外城田川(ときたがわ)添いに今も残る鳥居のところなのです!!

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斎王の御こころに深く触れる旅へ!

実は、平成25年(2013年)に行われた、二十年に一度、天照大御神さまのご神体を新たなご正殿へとお遷しする伊勢の神宮の「第62回神宮式年遷宮」の年に、こちらの「磯神社」さんをはじめ「元伊勢」のいくつかのお宮をお参りし、記事にしました。

それでも、今回、「ことの葉綴り」で、ご巡幸の旅路を綴っていると、お参りできていないところがたくさん!!!
大和国から、伊勢の国までの「元伊勢」のご巡幸地を、一つ一つ順番に巡りお参りをして、古(いにしへ)へと思いを馳せて、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまと倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、おこころに深く触れたいです。

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―次回へ
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