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名誉回復、皇后に復し「御霊神社本宮」ご祭神に ことの葉綴り 九二三回
中秋の名月+寅の日
おはようございます。今夜は中秋の名月!どんな美しいお月さまに出会えるでしょうか? 楽しみですね。今宵の満月、皆さんは何を祈りますか?
九月十日(土)の暦は、六曜は、「仏滅」で、勝負なしの日とされますが、十二直は「執」で、執り行う日。祭祀、お参り、建築、種まき、結婚などお祝い事に吉。二十八宿は「|胃《い》」、結婚、リフォームなど設備工事、開店開業、就職、職探し、引越しもいい日。そして、「寅の日」。千里を往き千里を還る虎にちなんで、出したお金がすぐに戻ってくるとされる金運招来の日。旅立ちもよし!
皆さま、中秋の名月、楽しみましょう!
非業の死から、名誉回復
さて、ここのところ、五歳で伊勢の神宮の斎王に決定し、十一歳から十九年間、天照大御神さまにお仕えし、弟の皇子の急死により、斎王の任をとかれ、都へと戻られた井上内親王さまの、数奇な運命をご紹介しています。
結婚し母になり、夫が光仁天皇に即位されると皇后となられますが、皇位継承問題に巻き込まれて、七七三年、天皇を呪詛したという大罪で、皇位をはく奪されて流罪となり、やがて皇子の他戸皇子と共に不自然な死を遂げるのです。
井上内親王さまの死後、親王の失脚、抹殺をはかったものが急死。宮中には妖怪が出没、また川の水が干上がるなど天変地異が起こります。
光仁天皇や、皇太子たちも病に罹るなどし、死後、龍になった井上内親王さまの祟りと恐れられて、亡くなってから四年後の七七九年、御霊を鎮める祈祷がおこなわれ、お墓を改葬し、墓守も置かれ名誉回復されることになります。
その翌年、再び、御墓を改葬。
七八一年には、光仁天皇が譲位されて、他戸皇子が亡くなったことで皇太子となっていた、山部親王が、第五十代、桓武天皇が即位。
けれど七八五年、再び、天皇の弟の早良親王も、重臣の暗殺を企てたと罪をきせられて皇位はく奪、幽閉され、断食し淡路へ流される途中で、餓死される悲劇がおこります。
皇后に復し、ご祭神に!四所大明神!
皇位はく奪、陰謀、謀略……壮絶なる死……。
七九○年、桓武天皇は、井上内親王さまと、他戸皇子が幽閉されて謎の死を遂げた、宇智郡に、
井上内親王さま
他戸皇子
そして、弟の早良親王さまをお祀り、御霊を鎮めるために「御霊神社(御霊本宮)」を創建されました。
また、丹生川の川向うには、流罪になる途中で、身重だった井上内親王さまが出産され、火雷神になった若皇子を祀る「火雷神社」も祀られました。
そして八〇〇年、早良親王は、崇道(すどう)天皇と皇位を復し、同年、井上内親王さまも、吉野皇太后と、皇后の位に復されました。
七七五年に非業の死を遂げられてから、二十五年後のことでした。
奈良県五條市の「御霊神社本宮」では、古から、井上内親王さま、
他戸皇子、
早良親王
火雷神になった若皇子を祀る「火雷神社」
を、併せて「四所大明神」といわれて、地元の皆さんは、ご祭神の悲劇に想いを馳せて、祈り信仰を集めていたそうです。
「御霊神社 本宮 」さん
ふ~、ここまで綴ってきてよかったです。
天照大御神さまに仕える斎王、
そして、冤罪により非業の死を遂げて、龍の祟りとされて……やがて、名誉も回復されて皇后に戻られて、ご祭神となられた……。現在は、安産の神さまとしても崇敬されているのです!
あ~安堵しました。よかったです(^^)
―次回へ
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