奉斎の日を重ね世代交代 祈りの道の継承「倭姫命世紀」ことの葉綴り九〇六回
不調を治す「除」の日
おはようございます。八月二十四日(水)の暦は、六曜は、「先負」で午後が吉。平静をこころがけてよし。何ごとも控えめに。十二直は「除」で、障害を取り除く。医師へのかかりはじめ、薬の飲み始めにいい日。種まきも吉。二十八宿は「軫」で、婚礼などお祝いごと、地鎮祭、祭祀にすべていいとされる日。そしてご神事やお参り、ご先祖供養によい「神吉日」です。
豊鋤入姫命さまから倭姫命さま、そして……叔母から姪っ子の皇女へ
さて、今回は、「倭姫命世紀」より、倭姫命さまが伊勢の神宮をご創建されたのち、姪っ子の皇女に、天照大御神さまをお祀りするお役目、御杖代(みつえしろ)、斎王(いつみのみこ)をお譲りになられるくだりをご紹介します。
倭姫命さまも、叔母で、第十代崇神天皇の皇女、初代、御杖代(みつえしろ)豊鋤入姫命さまから、世代交代として、天照大御神さまのご神意のままにご巡幸をしお祀りし奉仕する、御杖代(みつえしろ)を継承されました。
この時、豊鋤入姫命さまは、すでに五十年以上の歳月を、ご巡幸と祈りに捧げてこられ、
私は、もう十分に奉斎(祭祀とご巡幸)の日々を重ねました。
すでに年を取り、お仕えすることができませぬ
そう仰られて、第十一代垂仁天皇の皇女で、姪っ子である倭姫命さまに、ご委任されました。
それから、少女であった倭姫命さまのご巡幸が始まります。
倭姫命さまも、三十年以上をかけて、大和の国、伊賀の国、淡海(近江)の国、美濃の国、尾張の国、鈴鹿の国、そして、伊勢の国へとご巡幸を続けられて、伊勢の五十鈴川の川上に天照大御神さまをお祀りされました。
伊勢の神宮のご創建です。
それからも、祭祀、御料(お供え)をはじめ、あらゆる基盤をつくられて……やがて……。
倭姫命さまから姪っ子五百野の皇女久須姫へ
第十二代、景行天皇二十年、庚寅の年のことです。
私はすでに年老いてしまい、お仕え申し上げることができません。私は、奉斎の日を十分に重ねました。
と、叔母の豊鋤入姫命さまから、ご委任されたときのように、倭姫命さまも、天照大御神さまをお祀りする奉斎のお役目を、同じく、姪っ子の五百野の皇女、久須姫さまにご委任されて、世代交代されたのです。
この五百野の皇女、久須姫さまは、倭姫命さまの兄で、景行天皇さまの皇女で、同じく甥っ子で悲劇の皇子、倭建命(日本武尊)さまとは、母違いの兄妹となります。
そして、すぐに、ご自身にお仕えしていた多くの係の人たちを、五百野の皇女、久須姫さまへとうつされ、久須姫さまのために、多気の宮をお造りになり、そこへ久須姫さまを遣わされて、御杖代として、心身を清めて、天照大御神さまへお祭りしお仕えするようにされたのです。
倭姫命さまご自身は、宇治の機織りの御殿「磯の宮」へとお遷りになりました。
叔母から姪っ子の皇女へ、そしてまた姪っ子の皇女へ、皇祖神、天照大御神さまの御杖代、祈りの、祭祀が受け継がれていきました。
そしてこれが「伊勢斎宮の郡行」の始まり……
代々、未婚の皇女または天皇の妹が、天皇に代わり、「斎王」となり、伊勢の地に赴いて、皇祖神の天照大御神さまのご神事を執り行う制度となっていく……この始まりとなったのです。
こうして、祭祀、祈り、その心が、世代から世代へと受け継がれていくのですね。まるで”一つの道”となって……まさしく、神の道、「神道」ですね、なんて(^^)。
―次回へ
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