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邪を祓う清らかな光 崇神天皇 神話は今も生きている ことの葉綴り。二七一

根っこは嫉妬?! 

おはようございます。昨夜高知に入りました。
今朝の出発前に、「ことの葉綴り。」更新します。

神話の物語の続きです。
崇神天皇の御代、
北陸の平定に出立した大毘古命(おおびこのみこと)の前に
不気味な歌を歌う、不思議な少女(おとめ)が現れて……。
これは一大事! と大和の都へ戻り、急ぎ、天皇に報告します。

崇神天皇は、その少女(をとめ)が歌う、暗殺を示唆する歌は
高天原の天つ神からのお知らせだと直観しました。
そして、その反乱を企てているのは、天皇の叔父である建波邇安王(たけはにやすのみこ)だと、理解します
自分がもっとも信頼する叔父で舅の大毘古命(おおびこのみこと)の弟でもありました。

同じ、叔父であっても、舅になりもっとも信頼し天下を平定するのを助けてくれる叔父。
一方、天皇の位を脅かし、反乱をくわだてる叔父。

同じ兄弟でも、相性も違えば、好みも違う。
これは、私たちも同じですよね。
兄弟姉妹でも、好みも感性も相性も違う。
たとえば、反乱を企てている建波邇安王(たけはにやすのみこ)からすると、兄の大毘古命(おおびこのみこと)と、甥で天皇に即位した崇神天皇との、仲の良さが、娘を皇后にまでした親密さが、気に食わなかったのかもしれません。
ジェラシー……
自分も仲間に入れてほしかったのかもしれませんね。
仲間に入りたい……でも、うまく言えないし、感情がすれ違ってしまって……やがて、好きから嫌いになって、嫉妬してしまう
自分にないものを、相手は持っている
だんだんと許せなくなってくる。
どんどん、気持ちも、気も“雲”のように淀んでいく
ほんとうに、今を生きる私たちと、同じですね。

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天つ神諸々の御こころと清き光!

同じ叔父の兄弟で……そんな思いがあったのでしょうか。

ここで思い出してほしいのが、神話の物語の神代の巻の

天つ神の御こころ!! 

神話の物語は私たちに教えてくれています
私たちの中に、嫉妬や妬み、もやもやした思いがあったとしても、

私たち、一人ひとりの「命」は、天津神諸々(もろもろ)の光を受け継いだ存在であることを

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嫉妬や妬みなどで、心や気が、淀み沈んだときに、邪気を祓うのが「お祓い」です。
穢れとは、気の枯れのこともさします。

日頃、なにか嫉妬や、もやもやした心持ちになったときに、
私たちも、その“邪気を祓う”ことで、本来の光の存在であることを思い出したいですね。

日頃、日本人の私たちが、毎日、湯船につかってお風呂に入るのも、その日溜まった“汚れ”穢れを祓ってくれます。
お塩もいいですね。
自分の肩にふりかけて、邪気払いしてみてもいいですよね。

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さて、物語に戻ります。

崇神天皇は、副将として、丸邇臣(わにの)祖である日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)を、叔父の大毘古命(おおびこのみこと)につけたのです。

大毘古命(おおびこのみこと)と、日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)は、丸邇坂(わにさか。今の天理市のあたり)に到着すると、そこに、神々を祭る清浄な瓶を埋めて、勝利を祈る宴を開きました。

そして、再び、山代へと進んでいったのです。

さて、この反乱、おさめられるでしょうか?

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―次回へ

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