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円野比売の深い傷 垂仁天皇後編2 神話は今も生きている ことの葉綴り。三一九

”甚凶醜(いとみにく)き”によりて

おはようございます。今日はお仕事の前に「ことの葉綴り。」のひとときがもてました。。

これまでの「ことの葉綴り。」神話のまとめはこちら。
最新マガジン“もの言わぬ皇子” 本牟智和気王(ほむちわけのみこ)も、加わりました。

さて、第十一代の垂仁天皇の御代の物語の後編2です。

伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりびこいさちのみこと)こと、垂仁天皇は、最初の皇后の沙本毘賣(さほびめ)とは悲恋に終わりました。
亡き皇后の遺言を守り、沙本毘賣(さほびめ)が推薦した、丹波の美智宇惟王(みちのうしのみこ)の娘を、皇子の乳母として、また新たな妃として迎えいれることになりました。

ところが……。
一番上の比婆須比売命(ひばすひめのみこと)
二番目の弟比賣命(おとひめのみこと)こと、沼羽田の入毘賣命(ぬばたのいりひめのみこと)は、乳母として、比婆須比売命(ひばすひめのみこと)は、皇后として、弟比賣命(おとひめのみこと)も妃として迎え入れられましたが……。
その下の妹たち、歌凝比賣命(うたごりひめのみこと)と圓野比賣命(まとのひめのみこと、円野比売とも書きます)は……。


”その弟王二柱は、甚凶醜(いとみにく)きによりて、
本(もと)つ土(くに)に、返し送りたまひき”

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円野比売(まとのひめ)の深い傷心

な、な、なんと
妃には選ばれなかった……なら、まだわかる!(同じ女性として)
し、しか~し、甚凶醜(いとみにく)きによりて、なんて言われたら、もうショック過ぎますよね。

やはり、ご当人の比売(ひめ)もたいそうな衝撃を受けられたようです。

「同じ兄弟(はらから)の中に、姿醜きをもちて還さえし事、隣里(ちかきさと)に聞こえむ、これ甚慚慚(いとはづか)し」

そう、気持ちを(まとのひめ)でした。吐露されたのは、末の比売(ひめ)の円野比売(まとのひめ)でした。

そりゃあ、そうですよね。
きっと地元の丹波では、四姉妹が天皇の妃となると、それはそれはお祝いをして送り出されたことでしょう。
大好きな父母と別れても、姉たちと共に、これからも一緒に近くて生きていけるとも思ったでしょう。

希望や夢を持って宮中にあがったはずです

ところが……

いきなり、
顔を見ただけで
性格を知るわけでもなく
外見だけで、
追い返されてしまった……。
しかも、姉たちは妃になったのに……。
公に、「甚醜き」と、さらされてしまった……。

それも、容姿のことで……。
女性にとっては、どれほどの屈辱であり痛みであるか……。

今の時代でも、ネットでの誹謗中傷を受けたり、個人情報をさらされて傷つくこともありますよね……。

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傷ついた末に……悲しみの地名

円野比売(まとのひめ)は、深い痛手を負ったのです。
大和から丹波まで、送り返される中、
京都の山代国の相樂(さがらか)というところまできたときです。

もう一人、共に追い返された歌凝比賣命(うたごりひめのみこと)やおつきの者たちが見ていない瞬間に、
咄嗟に、大きな樹の枝に、ひもを下げて、そこに自分の首をかけて、死のうとしたのです!!

姉たちが、すぐに気づいたことで、円野比売(まとのひめ)は、一命をとりとめます

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首を吊ろうとした……そんな悲しい比売(ひめ)の”自殺未遂“があったことから、その場所を、懸木(さがりき)というようになり、その後、字を変えて相樂(さがらか)と呼ぶようになりました。
今は、京都府相楽郡(そうらぐん)と呼ばれています。
神話は今も生きています。と、悲しいお話は、残念ながらまだ続くのです……。

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―次回へ 幸香「ことの葉綴り。」


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