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応神天皇の子孫と仁賢天皇の皇女 継体天皇神話は今も生きている ことの葉綴り八四四

愛宕神社「千日詣り・ほおづき縁日」大安吉日

おはようございます。出世の石段で有名な東京の「愛宕神社」さんでは、六月二十三・二十四日に、「千日詣り・ほおづき縁日」が、おこなわれます。境内の茅の輪をくぐりご神前にお参りすると、千日分のご利益がいただけるそうです。

さて六月二十三日(木)の暦は、大安吉日。万事によい大吉日。婚礼、お参り、移転、建築、旅行、新規事業すべてによし。そして十二直は、障害を取り除く「のぞく」医師へのかかりはじめ、薬はじめ。掃除、種まきに吉。二十八宿は「せい」で神仏へのお参り、建築、種まきに吉。そして、ご神事に関する吉日「神吉日かみよしにち」です。
真夏日になりそうです。皆さん、今日も一日お元気でお過ごしくださいね。

さて、神話の物語に入ります。


応神天皇、五世の孫袁本杼命をほどののみこと

意祁おけ(第二十四代、仁賢天皇)と袁祁をけ(第二十三代、顕宗天皇)兄弟の御世の後、意祁おけの皇子、第二十五代、武烈ぶれつ天皇さまには日嗣の御子がおりませんでした。
そこで、重臣の大伴金村おおとものかなむららが協議をおこない、第十五代、応神おうじん天皇さまの子孫に白羽の矢が立ちました。

五世の孫で、丹波国の倭彦王やまとひこおおきみを、天皇にと迎えにいきますが、あまりの兵士の多さに「私は討たれる!」と勘違いをして、姿をくらましてしまい、失敗に終わります。

次に、重臣たちは、同じ応神天皇の五世の孫で、近淡海国ちかつおうみのくにから、母の故郷の越前を統治していた袁本杼命をほどののみことを、天皇すめらみことにと推挙します。

しかし、袁本杼命をほどののみことも、いきなりの話を、信じることができませんでした。
そこで使者を出して、大伴金村おおとものかなむららの重臣たちの話が真実であるかどうかを確かめられました。
そして、皇位継承を決意され、河内の樟葉宮くずはのみやでご即位されました。


第二十六代、継体けいたい天皇

第二十六代継体けいたい天皇です。
このときすでに五十七歳で、妃もいましたが、大伴金村おおとものかなむらら重臣の助言もあり、意祁おけこと第二十四代、仁賢天皇さまの皇女手白髪命たしらかのみことさまを皇后に娶られました。

この樟葉宮跡が、大阪府枚方市「交野天神社」さんが伝承地とされています。
枚方八景 樟葉宮跡の杜 | 枚方市ホームページ (city.hirakata.osaka.jp)

樟葉宮」に五年おられて、ご即位後、約二十年ののち、大和の伊波禮いはれ(磐余)の玉穂宮たまほのみやで、天下を治められました。

では、継体天皇の系譜をご紹介します。

仁賢天皇の皇女、手白髪命たしらかのみこと皇后さまとの間には、
天國押波流岐廣庭命あめくにおしはるきひろにわのみことさま

そして、皇后をはじめお妃は七柱!

三尾君の祖の若比賣わかひめとの間に
大郎子おほいらつこ
出雲郎女いずものいらつめ

まだまだ、これから続きます。

系譜は、漢字も多いので、ゆっくりいきましょう(笑)

次回へ。

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