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恩讐を超えて融合へ 意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)14 ことの葉綴り八三九
寅の日+成
おはようございます。六月残り二週間。六月十八日(土)の暦は、六曜は「赤口」で、お昼前後の正午が吉。十二直は、物事が成就する「成」。新しいことを始めるのにいい日。開店開業、種まき、建築、移転、旅行、今歴に吉。二十八宿は「胃」で、婚礼、開店開業、設備の工事、就職、求職、移転に吉の日。
そして、金運招来の「寅の日」。宝くじやお財布購入もよし。旅立ちにもよし。天が母の様に慈しむ「母倉日」です。
皆さん、夏日になりそうですが、楽しい週末を!
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《これまでの意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)》
幼いころに父王を殺された、意祁王さまと袁祁王さま兄弟は、卑しい身分に姿を替えて生き延びられました。
やがて、皇子として復権し、弟の袁祁王さまが、第二十三代顕宗天皇にご即位されました。
そして亡き父のご遺骨を探しだし、御陵をつくり丁寧にお弔いされました。
また父の仇である雄略天皇の御陵を打ち壊そうとしますが、兄の意祁王さまの大いなる理により、御陵の片隅を少し掘り起こしただけで、復讐の気持ちをおさめられたのです。
そして、顕宗天皇さまは、八年間、天下を治められ、三十二歳の若さで身罷られて、兄の意祁王さまが、皇位を継承されました。
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恩讐を超えて一つに
兄、意祁王さまは、第二十四代、仁賢天皇さまにご即位されて、大和の「石上の廣高宮」にて、天の下を治められました。
こちらは、現在の奈良県天理市石上町で、この辺りは古墳が多く「姫丸稲荷大明神」がご鎮座しており、この境内に「石上広高宮」の伝承地を示す石碑があるそうです。
そして、ご即位後、皇后さまに春日大郎女を娶られました。
この皇后、どういう方だと思いますか?
な、な、なんと、この春日大郎女さまは、自分たち兄弟の父の仇、雄略(大長谷若建)天皇さまの、御子なのです!!
また、『古事記』雄略天皇さまの、物語の系譜には、この皇女は登場しませんが……
恋のお話も多かった雄略天皇さま。
『日本書記』に、采女の童女と結ばれて、一晩で身籠った娘が、この春日大郎女さまとされます。
この皇后選びにも、兄の意祁王さまこと、の深慮を感じるのです。
すごいですよね~。
父の仇の志も、ある意味“果たし”、雄略天皇さまの娘を妻に娶ることで、恩讐を超えて、融合し一つになったように覆います。
さらに、第二十代❘安康《あんこう》天皇さまから狂いだした運命の歯車で、引き起こされた 復讐の、悲しみの、憎しみの連鎖をも、終結することができた気がするのですが……どうでしょうか?
誰もがこの世に生まれ、育つ「家」には、それぞれ問題はありますよね。でも、その家の問題が解決するまでには、何世代もかかることがあります。
何十年以上も、日々を積み重ねて、やがて、恩讐を超える「時」がくる……。
仁賢天皇さまは、そうした、大いなる❘理《ことわり》を、受け止めて、分離・諍いではない「融合」という、道を歩まれたのだな~と、すごく感動しちゃいました。
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―次回へ。
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