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鎮魂と共に……出会いに ことの葉綴り三七五

三月十一日


おはようございます。
東日本大震災から十年目となりますね。

十年……。

昨年から、なかなか旅にもいけない状況ですね。

私は、今日、付き添いで一日病院に滞在しますが、
午後14時46分
何かをしている途中かもしれません。
移動中かもしれませんが、
鎮魂の祈りで手を合わせたいと思います。

そして津波が押し寄せた時間帯は、その後ですね。

その間も、何かをしていても、心の中で、黙とうし祈り続たいと思います。

3月11日
東北の各地の神社さんは、津波の被害を受けて流されたお宮もありますが、地域地域の避難場所となり、命を救い、避難所として、居場所をつくり心の拠り所となり、また皆さんが、手助けし合いながら、乗り越えてこられました。

2011年の秋になってから、“あの日、神社では何が起きていたのか”?
当時、食料の配布にも、整列して並ぶ人々、助けあう人々のことが、海外に報道して取り上げられていましたよね。

震災の被害を受けながらも、家を流されて、家族が不明の方もいらっしゃるなか、でも、そんな心根が発露する。
それは、決して一朝一夕にできることではありません

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日本人の奥深くの心にあるもの。

日本人の奥深くの心にあるもの……それを「神社」を通して、何が起きていたかを、
岩手県の陸前高田の「月山神社」さん。
宮城県の南三陸町「上山八幡宮」さん、
石巻市の「伊去波夜和氣命(いこはやわきのみこと)神社」さん。
鹿島御児(かしまみこ)神社」さん。「金華山黄金山(きんかざんこがねやま)神社」さん。
福島県、山元町の「八重垣神社」さん、相馬市の「相馬神社」さんへと向かい、宮司さんや、神職の方々、宮司さんの奥様にお話を聞かせていただきました。

3月11日の前と後とでは、私は本当に変わった気がします
と、仰られたのは、南三陸の「上山八幡宮」の、宮司をされていた工藤祐允(すけよし・故)さん。
学校の先生をされていた工藤(前)宮司さん。防災庁舎にいた教え子たちが、人々を助ける放送をしながら、津波で亡くされていました。

突然、訪れた私にも、とても柔和な微笑みで、静かにお話をしてくださって……五行歌を詠まれていた工藤宮司は
平成27年(2015年)にあちらに旅立たれました。

娘で、神職の工藤真弓さんは、当時4歳だった息子さんと共に津波から逃げた体験をもとに『つなみのえほんーぼくのふるさと』(市井社)を綴られています。

陸前高田市の「月山(がっさん)神社」の宮司の奥様の荒木タキ子さんも、
みんなで、神社の拝殿に避難して、助け合って、あるものを分け合って、地域のお婆ちゃんたち、笑顔で縫物をしていたのよ
と、とても優しく迎えてくださいました。

地震が来たら”おみょんつぁん”へ」と言い伝えを守り、避難した氏子さん約200人の命を救ったのは、石巻市の、おみょんつぁんんこと「伊去波夜和氣命(いこはやわきのみこと)神社」さん。大國龍笙宮司さんは、「自然の神様がやることだべ。普段はその自然に生かされている。そしてボランティアにきてくれた人には、ありがたい、しかないっちゃ。これは神道の奉仕のこころ同じだべな。」と、笑顔を見てくださいました。

大國宮司の手書きIMG_1104

訪れた私のほうが、お話を聞いて、言葉を失いながらも、お一人お一人、お会いした方のお心に、神様とともに、地域の方々とともに生きている、神道のこころに、どんな困難でも、光に向かう姿、お心に、触れさせてもらい、心震えたのです。


あっ、そろそろ出かけなきゃです。

このときのことも、またゆっくり綴らせてもらいますね。
(実はこの経験を、『光に向かって~3.11で感じた神道のこころ』(晶文社刊)の一冊にまとめさせてもらいました)

今日は一日、東北の皆さんへ、鎮魂とともに、
そしてあの時、出会った皆さまへ、感謝のこころを感じて、手を合わせます。

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―次回へ

#自分にとって大切なこと

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