姫(比賣)神の生き方から学ぶ ことの葉綴り。百六二
神話の姫神さまの煌めき
おはようございます。
長崎原爆の日の今日。
手を合わせて静かに祈ります。
そして、今日も「ことの葉綴り。」に向かいます。
前回、猛火の中で、命がけで出産された木花佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)さまのことを綴っていて、
同じ一人の女性として、
女神としての、その美しさはもちろんのことですが、
その尊厳、静かな強さ、誇り、叡智に
肚のくくりかた、強い意志と行動、
自らの足で立ち、道を選択する力に
深く感動していました。
そして、この『ことの葉綴り。』で、神話を綴っている中で、
登場した姫(比賣)神さまたちについて思いをはせました……。
どの女神さまも、それぞれに、強さ、優しさと
芯の通った在り方、真摯さ、愛情深さ、ひたむきさに、
今を生きる私たちから見ても
なんて、素敵なんだろう!
かっこいい!
クールビューティー!
な~んて、感じたのです(^^)。
みなさん,
子どもの頃に感じていた「お姫様」のイメージって
どんなでしたか?
「白馬に乗った王子様が現れて、眠りから覚めて
結ばれて、幸せになりました」
と、いうところで物語は、終わっていませんでしたか?
ディズニーのプリンセスたちも、
『アナと雪の女王』のエルサやアナをはじめとして、時代とともに、女性の自立やマインドチェンジが描かれていますが、
日本の神話の、比賣(ひめ)神こと、プリンセスは、
遥か古の神話から、最初から
自分の足で立ち、
涙し、苦悩し、選択し、
道を切り開かれている……のです。
男神、夫神へも、優しさ、慈愛、お大切にしながらも、
対等に向かい合い、ひるまない。
令和二年、世界にコロナが広まっている2020年
“サボり屋”の私が、在宅中に続けている神話の物語の綴り。
忘れ去られていく神話の物語を伝えたいと思っていますが、
日々、綴っている私のほうこそ、
神話の神さま方から、大きな何かをいただいているようです。
特に、日本の神話の姫(比賣)神さまの
お姿、歩み方、生き方、力強さ、自己尊重、慈しみ……
今を生きる私たちへ、
強く在れ
潔く在れ
美しく在れ
気高く在れ
優しく在れ
と、光の煌めきと共に
メッセージを送ってくださっているのを感じるのです。
**
愛するということ**
前回も少し綴りましたが、
「自粛警察」「SNSでの正義中毒」と
つい、誰かを“許せない”と感じてしまうことも増えています。
人に対して「許せない」と感じるのは、
実は、自分自身の中に「許せない」ものがあったり、
自身を「卑下」し、「価値がない」と思い込んでいる部分があったり、自分自身に自信がなかったりと、
自己を健全に大切に、愛せていないからと、いわれます。
自分自身を愛せた分、他者も愛せるようになる。
私もですが、つい、自分自身には、「厳しく」「ダメだ~」と、自己否定しがちです。
けれど、神話の姫(比賣)神さまたちは、そうではありません。
木花佐久夜毘賣さまは、一夜妻で身ごもったことを疑われます。
ショックで怒り狂ったり、落ち込んだりしてもいいはずです。
邇邇芸命さまを、責めたててもいいはずです。
でも、そうはならさずに、自らの行動で、ご神意を明らかにされて、疑いをはらすという「選択」をされました。
そんな「選択」ができるのは、
真の意味で、自分自身を健やかに愛し信じ認める力があるからです。
自分自身を愛せた分、人も愛せる。
自分を愛するとは、ただワガママに甘やかすことではなく
自らを理解し、自己への信頼があり、
自分自身を尊重し慈しみ、大切に扱うことができること。
そして、他者も同じように、慈しみお大切にし、尊重できる。
姫(比賣)神さまを道標に
学校では、決して教えてはもらえないけれど、
人が生きる上で、もっとも大切なこと。
自分を大切に慈しみ愛すること、そして人も大切に慈しみ愛すること。
それを、神話から学ぶことができる……そう感じています。
それは、木花佐久夜毘賣さまだけでは、ありません。
初のご夫婦神となられた、伊邪那美命さまの、グレートマザーとしての圧倒的な大きさ。
大国主命さまと、駆け落ちをしてきた、須勢理比売さま。
弟神のすさまじい暴力に、一度は天の石屋戸に“ひきこもり”ながら、太陽の姫神となり、高天原を統治された天照大御神さま。
その天の石屋戸にお隠れになった、天照大御神さまを、石屋戸から出ていただくために、我が身を使い舞い、女神としての才能と力を発揮。天照大御神さまからの強い信頼を受けて、天孫降臨でも尽力した、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)さま。
まだまだいらっしゃいますが……。
これまで「ことの葉綴り。」に登場された、
姫(比賣)神さま。
その、女性としての魅力、生き方は、
自己を大切にし、尊重し、誇り高くいきる道標(みちしるべ)です。
きっと、今を生きる私たちへ、勇気を、励ましを
光を、与えてくださるはずです。
そう、痛感した令和二年の夏でした。いつも、ありがとうございます。
神話は今も生きている。
―次回へ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?