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桜の花びら舞う宮 履中天皇十二 神話は今も生きている ことの葉綴り七二五

天皇誕生日+富士山の日 大安吉日

おはようございます。令和になり、四年目。今日は天皇誕生日
祝日ですね。第126代天皇陛下六二歳を迎えられます。今年は天皇誕生日の一般参賀は取りやめとなりました。私はお仕事ですが、時間見つけて、神社にお参りしたいなと思います。
暦は、六曜は「大安吉日」で、万事によい大吉日で終日よし。
十二直は「とる」で、祭祀、婚姻などのお祝い事にいい吉日。万物を裁決して執り行う日。二十八宿は「へき」で、婚礼、旅行、開店開業、衣類の仕立てに吉。そして祭祀やご神事に関する吉日「神吉日」です。

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また二月二十三日は、「富士山の日」でもありますね。富士山といえば、木花之佐久夜毘賣命このはなさくやひめのみことの女神さまをお祀りする「富士山本宮浅間神社」さまがご鎮座しています。
第七代、孝霊天皇さまの御世に、富士山が大噴火をして、荒れ果ててしまします。これを憂いた第十一代垂仁天皇さまが、浅間大神さまこと、木花之佐久夜毘賣命このはなさくやひめのみことを祀り山霊をお鎮めになりました。この神社は、春は桜の名所で、500本の桜が美しい花を咲かせます。
あ~春待ち遠しいですね。で、神話の物語も、同じく桜の花びらが舞う宮殿がでてきます。
<神話の物語マガジン>
最新マガジン追加した「仁徳天皇さまの物語」。宜しくお願いします。

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桜の花びら舞う磐余稚桜宮いわれわかざくらのみや

第十七代履中りちゅう天皇さまは、難波に戻ることなく、大和の伊波禮いはれの「若櫻宮わかさくらのみや」(奈良県桜井市)で天下を治められました。
弟の水齒別命みづほわけのみこととも仲良くされたようです。

また桜の花に関するこんな伝説が残っています。
天皇さまと皇后が、この御所の市磯池いちしのいけで宴の最中に、桜の花びらが盃に舞い落ちたことから磐余稚桜宮いわれわかざくらのみやという宮名になったそうです。
そして、桜の樹をこの清い水の湧き出る泉のほとりに植えたことから、今にも続く地名「桜井」と呼ばれるようになったのです。

今も、桜井市には、この磐余稚桜宮いわれわかざくらのみやの伝承地が残っています。

そして、また履中りちゅう天皇さまは、燃える難波の宮から、命を救い出してくれた「家臣の阿知直あちのあたえを、物品の出納を司る「藏官くらのつかさ」へと任命をし、領地を与えました。
また若櫻部わかさくらべの臣などに若櫻部わかさくらべという名前を賜り、また比賣陀ひめだの君などに、かばねを賜り、比賣陀ひめだの君といいました。
さらに、宮名の磐余稚桜宮いわれわかざくらのみやから伊波禮部いはれべも定められました。

そして全国の各地に国司や国史を配置されて、諸国の記録を残すように命をだされて、国家の安定につくされました。

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皇位継承は……弟へ

そして、壬申の年、正月三日、御年六十四歳で身罷られました。
御陵は、毛受もず(大阪府堺市百舌鳥)にあります。
履中りちゅう天皇百舌鳥耳原南陵《むずのみみはらのみなみのみささぎ》」です。
父の仁徳天皇陵古墳近くにあり日本で三番目に大きい巨大前方後円墳です。

そして皇位を継承されたのは……皇子ではなく、弟の水齒別命みづほわけのみことだったのです。
父から皇子ではなく、兄から弟へと兄弟への継承となったのです。

美しい桜が、妙に待ち遠しい天皇誕生日と富士山の日です(^^)

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