歓喜の光と天つ罪 天照大御神と須佐之男命 ことの葉綴り。其の百八
光戻り、歓喜の咲い(わらい)
おはようございます。
神話は今も生きている! 神様も“失敗”されて成長された物語。
天照大御神さまが、天の石屋戸からお出ましになると、
高天原にも、葦原中つ国にも、光が戻ってきました。
八百万の神さまたちも、お互いの顔を見あっていると
光がどんどんましていき
みんなのお顔が、明るく白く輝いていきます。
やった~。
太陽の神さま、天照大御神さまが復活された!
世界に光が戻った~。
そりゃあそうです。
真っ暗闇がずっと続いていたところ
みんなで知恵を出し合い、役割を分担して
一致団結して「祭り」をして
そして、天照大御神さまが、石屋戸からお出ましになり
明るい光が戻ったのですから。
八百万のかみさまたちは、みんなで手を取り合って
歌い、踊り、顔をほころばせて笑顔で喜びあいます。
楽し、嬉し、面白い!
阿波礼(あはれ) 天晴れ(あっぱれ) 天が晴れた~。
阿那於茂志呂(あなおもしろ)
世の末のピンチを乗り越えて、
みんなの顔が真っ白に輝き、面白(おもしろ)!
なんて、楽しい、面白い! おもしろい~!!
阿那多能志(あなたのし)
今、この瞬間、みんなで手を取り合って
踊れ! 歌え!
もう、めっちゃ、多能志!
あ~楽しい~!! 最高だ~。
阿那佐夜憩(あなさやけ)
竹の葉も笹の葉までも、清き(さやけき)音を奏でる。
飫憩(おけ)!
おう~(ポンポコンと音を鳴らし)
歓喜び(みなよろこび)
咲ひ(わらひ)、楽ぶ(あそぶ)。
もう、高天原の神々も、自然も、すべてが大喜びで
咲って(わらって)、笑って、笑って。
高天原には、笑顔の花が咲いています。
咲ひ(わらひ)によって、
光の精妙な輝きが、さらに細かく光の粒子となって
煌めき、輝き、明るさに満ちていきます。
やはり、「笑う」ってすごいことですね。
そして、太玉命(ふとたまのみこと)と、天児屋命(あめのこやねのみこと)が、天照大御神さまにこう申し上げました。
天照大御神さま、ご帰還、嬉しく思います。
八百万の神さまたちの、拍手、歓声、笑顔が
いっそう大きくなっていきました。
こんなふうに「天の石屋戸の物語」。
光が戻った喜びと、笑うことのすごさが、『古語拾遺』(こごしゅうい)に綴られています。
”姫神”だった天照大御神さまは、高天原を統べる太陽神へと成長を遂げられたのでした。
高天原も、葦原中つ国も
それまで以上に、光に満ちた素晴らしい世界になったのです。
よかった。よかった。
須佐之男命の贖い
天照大御神さまの復帰の歓喜の歓び、笑い、歌い、踊りみんなでのお祝いをされたあと、八百万の神さまたちは、もうひとつの“会議”をひらかれました。
それは、天照大御神様が天の石屋戸へお隠れになる原因をつくる
暴虐をおかした弟神・須佐之男命さまを、どうするか? です。
高天原のリーダー天照大御神さまのお心を傷つけ、
さらに、高天原の田んぼを壊し、機織女も死んでしまった。
幾ら、弟神とはいえ、このままにしてはいけない。
そこで、八百万の神さまたちは、須佐之男命さまに
これまで自分がしてきたことにより、どんなことが起きたのか?
自分の犯した罪を自覚したほうがいい!
罪や穢れを祓うために、罪を贖わせたほうがいい!
と、「天つ罪」(あまつつみ)の罰を与えることを決めました。
まずは、「千位の置戸」(ちくらのおきど)の罪を負わせます。
これは、罪穢れを祓い、償わせるために、千ほどもある多くの台に、自らのたくさんの品物を置いて献上させる。
いわゆる、”罰金刑”のような感じです。
次に、須佐之男命の身の不浄も、祓い清めが必要だと、
須佐之男命さまの伸びた髭と手足の爪を剥がしました。
古来から髭や爪は、穢れがたまるところとされており、それを切ることで、祓い清めとともに、再び伸びてくるものを切り取ることで
その力を抑えたのです。
これまで、自覚がないとはいえ、あまりにも好き放題で
暴虐の限りを尽くした須佐之男命さまの、
身と心に溜まりに溜まった、不浄、穢れ、罪を祓い清めたのです。
そして須佐之男命さまは「高天原にいてはいけない」と、追放されました。
天津罪(あまつつみ)とは
須佐之男命さまが、贖った「天津罪」とは、どんな内容でしょう?
それは、『大祓詞』の祝詞の中に、綴られているんです。
近年、神社で奏上される「大祓」には、この「天つ罪」のくだりは、ないのですが、『中臣祓』(なかとみのはらひ)には、詳しく綴られています。
ちょっとご紹介します。
畔放ち溝埋め 桶放ち 頻蒔(しきまき)串刺生剥(いきはぎ)
逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ)
須佐之男命さまは、天照大御神さまとの「誓約(うけひ)」に勝ったと、喜んで、田畑の「畔放ち溝埋め」と、畔を壊し溝を埋めてしまいましたよね。
桶放ちは、山から田にひいていた水路を壊して耕作ができなくなること。
頻蒔(しきまき)は、稲の田に、雑草の種を蒔くこと。これは稲が育たなくなり、雑草とりが大変です!または稲をまいた人の田に再び種を蒔くこと。
串刺 他人との田の境界に竹の串をさし「私のものだ」と占有し奪うこと。
生剥(いきはぎ)逆剥(さかはぎ)。須佐之男命さまが、天の機織屋に、天の斑駒(むらごま)という馬の膚を裂いて投げ入れましたね。そのことで、機織女が亡くなってしましました。
動物を殺し、人を殺す罪のことです。
屎戸(くそへ)も、須佐之男命さまは、天照大御神さまが、新嘗祭のご神事をおこなう神聖な御殿に、屎をまき散らしましたよね。
神聖な場所を汚す罪。
天つ罪とは、高天原に由来する稲づくりを妨害した罪。また神聖なお祭りを妨げる罪です。
須佐之男命さまは、荒ぶり高天原の稲づくりの農耕を妨害しましたね。。
田畑の耕作の妨害、人の田畑を奪う横領、人や動物の命を奪う。
そして神聖な神殿を汚す……これらが「天つ罪」なのです。
稲は、私たち人間が生きていくために必要なもの。
命をつなぐ大切なものです。
天つ御神、祖神からいただいた尊い命をつなぐための根源となる稲。
その稲づくりを妨害することは、「命」にかかわりますからね。
神代の時代から、神話は今も、生きているのです。
―次回へ
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