墨江中津王の死 履中天皇八 神話は今も生きている ことの葉綴り七二一
二十四節気 雨水
おはようございます。昨日の「三寅」、毘沙門天さまのお参りに行ってきました。お天気もよく気持ちよかったです。参拝者さん、並んでいましたよ。
張り子の寅さん、入手(^^)。そしてスマホケースを新調しました。
お仕事先から、富士山も見えて! マッサージでからだもほぐしてと、楽しい「三寅」日を過ごしました。
そして二月十九日(土)は、季節の変わり目、二十四節気の「雨水」。
まだまだ寒い日が続きますが、暦の上では、雪が水へと変わり始め、これから耕作をはじめる準備をするころ。
十七日に、としごひの祭り「祈年祭」がとり行われたばかりですもんね。
六曜は、「先勝」で午前が吉。急用をこなしたり、先んじることで幸を勝ち取れる日。十二直の「除」は、障害を取り除く日。医師へのかかり始め。薬の飲み始めに吉。またお掃除、種まきも佳き日です。二十八宿は「女」で、お稽古始めや、習い事の発表会、種まきに吉。
そして、ご神事にかんすることの吉日の「神吉日」です。神社の参拝、お墓参り、ご先祖供養にいい日です。
春待ち遠しい週末。花や植物、野菜の種を蒔いたり、自分の幸せの種を蒔いて育てたいですね。
<神話の物語マガジン>
最新は「仁徳天皇さま神話の物語」マガジンです。宜しくお願いします。
水齒別命の思惑
さて、数日ぶりに、神話の物語に戻ります。
『古事記』も下巻に入っています。
第十七代、履中天皇さまは、即位後すぐに実の弟の墨江の中津王の謀叛により、難波の宮に火をつけられ命を狙われました。
家臣により宮殿を脱出し、難波から大和へと逃げ延びて、石上神宮に身を寄せます。
そこで、四兄弟の三男の弟の水齒別命が、会いに訪れますが、次男である弟に裏切られ謀叛を起こされたばかりで、にわかに信じることができません。
兄の天皇から「墨江《すみのえ》の中津王を殺してきたら、お前を信じてゆっくり語り合おう」と、いわれた弟の水齒別命は、すぐさま難波へも舞い戻っていったのでした。
謀叛を起こした墨江《すみのえ》の中津王を狙うために、すぐ身近で仕える勇猛な隼人の曾婆加里という男に近づき「私のいうことに従えば、私が天皇に即位した暁には、大臣に取り立てる故、天下を共に治めていこう」と、甘い言葉を投げかけて、「墨江《すみのえ》の中津王を殺せ」と、命じました。
その代償として、多くの禄(報奨)を授けたのです。
墨江《すみのえ》の中津王の死
家臣の曾婆加里は、自分が仕える墨江の中津王が、厠へと入っていくのを、秘かに待ち構えていました。
曾婆加里は、墨江の中津王より信頼を受けていました。
中津王も、まさか、自分を裏切っているとは予想だにしていませんでした。
人がいちばん無防備になる厠で、墨江《すみのえ》の中津王は、家臣の曾婆加里に、矛で一気に刺し殺されたのです。
これで、天皇である兄上に会える。
裏切者を信じられない
水齒別命は、謀叛を起こした墨江《すみのえ》の中津王の命を奪う手柄を立てた曾婆加里を引き連れて、大和へと再び向かったのです。
けれど、旅の道中で、大阪と大和の境の二上山の入り口にいたったとき、ある考えが浮かび、頭から離れなくなっていました。
それは……。
曾婆加里は、この私のために大きな手柄を立てたのは事実だ。けれど、おのれの出世のために、主君の命を奪い殺したのだ。
奴のしたことは人の義ではけっしてない!!
私は、家臣が主君を裏切った奴を信じることできぬ。
とはいえ、私が命じたことの手柄に報わなければ、私自身も信なしとなる……。
さて、どうすればよいか?!……。
水齒別命は思案の末、ある結論を出したのです。
どんな結論なのでしょうね?
―続きは次回へ。
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