名もなき祈りの尊さ 元伊勢四五 神話は今も生きている ことの葉綴り三七一
下弦の月
こんにちは。今日は10時30分がちょうど、欠けていく月がま半分になる「下弦の月」でした。月がのぼる時間もも夜遅くそして昼頃に沈んでいきます。
一か月の月の満ち欠けのサイクルで、目標や進めていることの状況を確認するのにいいそうです。
この週末は、見直しするのもいいですね。
さて、さっそくですが、今日も、倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、物語を綴ります。
※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
亀山市の二つの「元伊勢」神社
倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、伊勢国の「桑名野代宮(くわなのしろのみや)」と、鈴鹿国の「奈具波志忍山宮(なぐわしのおしのみや)」でも、天照大御神さまをお祀りされました。
この「奈具波志忍山宮(なぐわしのおしのみや)」だったとされているお宮が幾つかあり、前回は、三重県亀山市の「布気皇館太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)」さんを、ご紹介しました。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御代から、時を重ねながら、その里の人たちに、とても大切にされていることをご紹介しました。
今回は、もう一つ「奈具波志忍山宮(なぐわしのおしのみや)」といわれている「忍山神社(おしやまじんじゃ)」さんをご紹介。
こちらも、同じ三重県亀山市にご鎮座しています。
「布気皇館太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)」さんから、約1㎞、歩いても20分ほどですね。
どちらも、鈴鹿川が近くに流れています。
天照大御神さまの和魂と荒魂を祀る「忍山神社」
「忍山神社(おしやまじんじゃ)」さんの由緒は、第十代崇神(すじん)天皇七年の御代に、天皇の勅命をうけて猿田彦神さまをお祀りされました。
初代の御杖代(みつえしろ)となられた豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、崇神天皇の皇女です。この崇神天皇の御代に、ご巡幸の旅も始まったのです。
崇神天皇の命を受けて、この地に猿田彦神さまをお祀りした、伊香我色雄命(いがかしこおのみこと)と、その子、子孫が、継承して神主となり、明治時代までずっと受け継ぎ祭祀を執りおこなってきました。
この伊香我色雄命(いがかしこおのみこと)は、物部氏の祖といわれます。
猿田彦(田比古命)さま、天照皇大神、天照皇大神荒魂(あらみたま)、倭姫命さまはじめ多くの神様がお祀りされています。
毎年十月には、この天照皇大神荒魂(あまてらすおおみかみあらみたま)をおなぐさめするために、傘鉾で町内を巡幸されます。このお祀りは、亀山市の無形民俗文化財に指定されています。
神さまの和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)については、「一霊四魂」の記事をご覧くださいね。
“名もなき祈り”の崇高さに涙
「忍山神社」(おしやまじんじゃ)さんは、倭姫命さまが、尾張の国で、「国褒め(くにほめ)」をされた「中嶋宮(なかじまのみや)」の「元伊勢」といわれる「野志里神社(のじりじんじゃ)」さんと同じく、平安時代に由緒ある神社が一覧に紹介された「延喜式神名帳」に名があるお宮です。
幾年、遥かなるときを超えて、現代は、けっして有名なお宮ではないかもしれません。けれども、その地域の方々が、祈り続けられて崇敬されて、大切にお守りされてお祀りされてきている。
祈り守られてきた、先人の尊いこころが、祭祀が、連綿と伝わっているのを感じます。
「ことの葉綴り」を綴りながら、先人の皆さまの想い、祈りのこころに触れて目頭が熱くなっています。
すごいな~。
お会いしたこともない、時代もちがう、名も知らぬ先人たちの、真摯な生き方、ひたむきさ、大神さまへの崇高な想いに……。
すごいな~って。
時空を超えて、その土地土地で生きた方々の、「祈り」「いのち」に「ありがとうございます」。
こうして、時を超えて、倭姫命さま、豊鋤入姫命さまが、手を合わせ祈られたお姿。また、名も知らぬ先人たちの祈りに想いをはせる。私にとっては、そんな瞬間が、とても大切な経験であり、心動くときであり、ありがたさが身に染みる、幸せなときなのです。
いつも、ありがとうございます!
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
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