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倭姫命さま相鹿瀬(あふかせ)のご判断 清浄第一 元伊勢八一 神話は今も生きている ことの葉綴り四一〇

笠を被られた倭姫命さま

こんばんは。「ことの葉綴り」に足を運んでくださった皆さん、いつもありがとうございます。今夜も早速、神話の物語に入ります。

※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。

倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神さまを伊勢の神宮にお祀りするまでの「元伊勢」の物語。
伊勢の国「伊蘇(いそ)の宮」に天照大御神をご鎮座なさってからも、さらなる宮処を探し求めてご巡幸を続けられています。

前回は、伊勢を流れる外城田川(ときたがわ)の終わりにたどり着かれました。
そこの水が冷たく清いことから「寒川」と名付けられて、「御船神社(みふねじんじゃ)」さんと、「牟弥乃神社(むみのじんじゃ)」を定められて、川の神さまをお祀りなさいました。
こちらも、伊勢の神宮の「摂社」と「末社」で、今もお参りできるのです。こちらの続きとなります。

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伊勢湾に注ぐ宮川

其の処従(ところよ)り幸行(みゆ)きする時に、
御笠服(みかさき)給ひき。
其の処を「加佐伎(かさき=笠着)」と号(なづ)けき。
大川の瀬を渡り給はむと為(し)たまひしに、鹿(しし)の完(ししむら)流れ相ひき。「是れ悪(あ)し。」と詔(の)りたまひて、度(わた)り坐しまさざりき。
其の瀬を「相鹿瀬(あふかせ=逢鹿瀬)」と号(なづ)けき。

川の終点へとたどり着かれた倭姫命さまご一行は、そこからさらに西の方へと行幸なさったときに、雨に降られれたので、お供のものが、急いで差し出された、菅の笠を被られてました。
笠をお着けになったそのところを、加佐伎(笠着=かさぎ)とお名づけになられました。
このあたりは、三重県の多気郡多気町笠木とされています。

さらに、進まれた倭姫命さまご一行は、大川の川の瀬に着かれました。
この大川は、伊勢を流れる宮川のことで、この川は、奈良県との県堺の大台ヶ原山を源流に、三重県の南部の伊勢市、玉城町、渡会町、多気町、大台町、大紀町を流れて伊勢湾に注ぐ一級河川です。

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鹿の完(ししのししむら)とは?清浄を尊ぶ御こころ

この宮川(大川)の瀬をお渡りになろうとしたときです、
四つ足の獣の肉の塊が流れてきたのです。
倭姫命さまは、お顔を背けられて、そして「これは、穢れており、悪いことです。ここを通るのはやめましょう」と、判断をされて皆に仰いました。
そこから、この川の瀬を「相鹿瀬(おうがせ)」と、名付けられたのです。
現在もこの地名は残っています。三重県多気郡多気町相鹿瀬(おうかせ)です。
鹿の完(ししのししむら)は、鹿は、小鹿などの鹿ではなく、この場合は、四つ足の獣、完(ししむら)は肉の塊のことです。
やはり、清浄を最も尊ぶ神道のこころを感じますね。
多気郡多気町は、三重県の真ん中に位置する山に囲まれた自然豊かな町です。ゆっくり旅してみたいですね。

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