応神天皇十九 崩御、そして後継は?神話は今も生きている ことの葉綴り六四三
連日、一粒万倍日の金・土曜
おはようございます。早速ですが、十二月三日(金)の暦は、六曜は、朝と夕方が吉で、何事も勝ち負けなしといわれる「友引」。十二直は、開き通じる「開」で、運を開くための祭祀、お参り、建築、開店、開業、婚礼、引っ越しも吉。二十八宿の「婁」は、縁談、契約、相談ごと、引っ越し、旅行に吉。土を掘ったり、設備にもいい日。
そして吉祥日がトリプル!「一粒万倍日」「母倉日」「神吉日」と重なっています。そして、明日も「一粒万倍日」が続きますし、新月ですし、大安でと、金曜・土曜とお参り日和です(^^)
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<ことの葉綴り>全体のご案内
「ことの葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体の紹介は、こちらをどうぞ
<応神天皇さまの物語 あらすじ>
第十五代応神天皇さまは、皇子の大雀命の願いを聞き入れて、天皇の妃候補であった髪長比売を譲られました。
また応神天皇の御代、海部、山部、山守部、伊勢部と、産業を定め、朝廷が発展していきます。
海を越えて、新羅や百済との交流も盛んになり、優れた文人や、優秀な技術者たちも渡来して、海外から新たな技術や知識、酒造りの名手なども伝来してきます。応神天皇さまは、その美酒でほろ酔いになられて、御歌も詠まれました。
応神天皇、崩御、そして……
物語は、次に、いきなり、天皇の没後へと飛ぶのです……。
十人の妃と、二十六の御子がいらした応神天皇さま。
一百三十歳で、身罷られます。
さて、何が起きたか? それは、いうまでもなく、後継者争いでした。
応神天皇さまの皇位を継ぐ候補の皇子は、大山守命さまと、大雀命さまと、寵愛する妃の子宇遲能和紀郎子がおりました。
父、天皇の命に背いたのは?
応神天皇さまは、
宇遲能和紀郎子が天皇となることを、
大雀命は、天皇の補佐をすることを、
そして、大山守命には、山海の政をせよと、勅を出されていました。
大雀命さまは、父である天皇の命に従い、弟の宇遲能和紀郎子さまに、天下を治めることを譲ろうとされていました。
けれど、納得がいかないのが、いちばんの年上の兄大山守命だったのです。
父の御代では、おとなしくしていましたが、崩御されると、その命に背き、長子である自分が天下を獲ろうと考え、弟の宇遲能和紀郎子の殺害を企て、秘かに、強者の兵士や武器を準備していたのです。
なにやら、きなくさいですね……。
三人の皇子、兄弟の争いどうなるのでしょう。
―次回へ
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