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妻を待ちて……伊邪那岐・伊邪那美さま23神様も失敗して成長した ことの葉綴り。其の七六

暗闇で妻を待つ

こんにちは。金曜日は朝が仕事。3時のおやつの後、超サボり屋がnoteに向います。
神話の神さまたちも、人間と同じように“失敗”をして、悩み傷つき涙する。それは、今を生きる私たちにも勇気を与えてくれます。

初の夫婦神の夫・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)さまは、
最愛の妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)さまを追いかけて、
地下にあるという死者が暮らす黄泉の国へと向かいました。

けれど伊邪那美命さまは、
すでに、死者の国の釜で煮炊きした食べ物
「黄泉戸契(よもつへぐひ)」を食べてしまって、
黄泉の国の住人になってしまっていました
……。

それでも夫婦神はお互いに気持ちが断ち切れません。
伊邪那美命さまは、意を決して
死者の国の神さまに、なんとか地上に戻れるように
お願いすることになりました。

そして愛する夫には、
「その間、決して、決して私を見ないでください。
ここで待っていてくださいね」

そう言い残して、伊邪那美命さまは
真っ暗な死者の国の宮殿へと降りていきました。

暗闇の中、死者の国の入口の御扉の前で
一人でじっと待つことになった伊邪那岐命さま

視界も暗く何も見せません。
ただ、固い固い大きな壁のような門があるだけ。

妻と共に、一緒に戻るのだ!

伊邪那岐命さまは、そこで立ちすくんで
ずっとお待ちになりました。

何も見えず
何も聞こえず
様子がまったくわからない。


少し想像してみましょう。


何かして「待つ」わけではありません。
人と話をして待つ、こともできません。
映画やテレビを見て時間をつぶるわけでもない。
今のように、スマホやPCがあるわけでもない。
好きな音楽を聞いて「待つ」こともできません。

もし5分という時の感覚でさえ
もう、長く長くて、それが1時間にもと
ひたすら長く感じるでしょう。

そのうえ、視界も閉ざされていて
中の様子も「わからない」。
人は、「わからない」ことに対しては
不安がつのります。

それでも伊邪那岐命さまは、待ちました。

音もしない世界

周りも見せない世界

触れるものすらない世界

五感を感じることもない世界

それでも、妻を待ちました。

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よぎる不安

どうしたんだろう? 
妻は地上に還る許しがもらえないのだろうか?

もしや……待っている私のことを忘れてしまったとか?

あ~いったい、なにが、どうなっているんだ!

もう、いてもたってもいられません。

だって、愛する妻に逢うために、
地下の死者の国まできたのです。

もう、待っていられなくなりました。

もう、待つ我慢の限界がきてしまいました。

いったい、どうなっているんだ!?

とうとう、伊邪那岐命さまは、
妻の「待っていてください。見ないでください」
と言葉に背いてしまいます。

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禁忌を破り死の国へ

伊邪那岐命さまは、ご自身の御角髪(みづら)。
御角髪(みづら)とは、神話に登場する神さまが
よくなさっている髪型です。
髪の毛を真ん中から左右に分けて
耳のところで結って束ねた
古代の男性の髪型です。

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その左の御角髪(みづら)に刺した
湯津津間櫛(ゆつつまぐし)という
清らかな爪型をした櫛の
両端の太い歯を一つ
手で折り取りました。

そしてその櫛の歯に火を灯したのです

「どうなっているか、少しぐらいはいいだろう」

禁じられていたことをしてしまいました。
そう、タブーを犯したのです。

真っ暗闇に、その炎がともります。

そして、御扉を、ぎぃぎぃぎぃ~っと押し開けて。
御扉から、死者の国へと
一歩、一歩
静かに音を立てないように、歩みを進めてしまったのです。

闇の中に、何があるのかが見えました……。

さて、何があったのでしょうか?

伊邪那岐命さまが目にしたものとは何でしょう?

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炎の明かりに照らされて
少し先の地面に何かが横たわっています。

あれ? 妻の衣服によく似ているぞ……。

そう~っと火を近づけてみます。

「あっ??!」

伊邪那岐命さまは、息が止まってしまいました。

そこには、伊邪那美命さまのお身体がありましたが
すでに肉体は腐りきっていて
すごい腐臭がたちこめてきます。

伊邪那美命様の体中から、
蛆がわいてたかっているではありませんか……。

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「待つ」こと……。

今日は少し考えてみましょう。
「待つ」ことについて……。

待つには、力が必要です。

じっと待つ、信じる力が必要です。

待つ、そこには忍耐が求められます。

待つ、ざわめく心を鎮めることが必要です。
待つ、自分で何かしようと支配はできません。

待つ、時を超えてしまうこともあります。

待つ、時に愚直さも助けになります。

待つ、自分の力以上の大いなるなる流れを、
受け入れなければいけません。

待つ、自分の意志と行動でどうにかなるものではありません。

以前も紹介しましたが、

お祭りの語源
それは、神さまを待つ。
待つ、まつろう。
祀る
祭る
祭り

往々にして、人は(私もです)
待つ、ことは苦手です。
メールの返信が来ない、と心配になる。
楽しいお祝いの日も、早く来て!と気がせく。

歓びも悲しみも、どんな状況でも
待つ、のはエネルギーを使います。
待つ、のは気も使います。

待ちくたびれる

そう、待っていると、くたびれてしまう。

「待つ」ことが、どれほどのことか。

それを思い出させてくれます。

しかも、もう一つハードルがあります。
「私を見ないでください!」

そんなことを言われたら
余計に、見たくなるのが、人間!
この場合は、伊邪那岐命さまですが……。

「見ないで」と、言われて「見てしまって」
異界の物語が展開する。

たとえば、みんなの知っている
「鶴の恩返し」は、鶴が機を織る姿を見てしまう。

見てはいけない玉手箱をあけて
おじいさんになった「浦島太郎」

どうやら、
「待つ」
「見ないでください」は、
“見てはならないもの”があり、
そこに、実は目を背けることなく、
私たちは、対峙しなければならないのだ。

そう神話は教えてくれている気がします。

さて、伊邪那岐命さまと伊邪那美命さまは
どうなるのでしょうか?

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―次回へ

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