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天照大御神様を“永遠に鎮め坐し祀るところ” 元伊勢七三 神話は今も生きている ことの葉綴り四〇二

塩結びの日


こんばんは。四月とはいえ、肌寒い日でしたね。
風邪に気を付けたいですね。
「ことの葉綴り」を訪れてくださった皆さんが、健やかでありますように!!
四月六日は、「塩むすびの日」、ちょうど、一年前にその由来を書いていました。よかったらご覧くださいね。

さて、神話の物語に入ります。
※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。


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内宮のはじまり“其の祠(ほくら)”

倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、皇祖神の天照大御神の御杖代(みつえしろ)となり、御こころを受けてご巡幸される物語です。

故(か)れ、太神の教への随(まま)に、其の祠(ほくら)を伊勢の国にたてたまふ。
因(よ)りて斎(いつき)の宮を五十鈴川上(いすずがわかわかみ)に興(おこ)し立つ。是(これ)を礒宮(いそのみや)と謂(い)ふ。
天照太神、始めて天自(あめよ)り降(くだり)ます処也

伊勢の国の大淀(おいず)の浜辺で、
神の風が吹くこの伊勢の国は、海の彼方にある常世の国から、次々と波が打ち寄せてくる国である。
大和から見ると傍(かたわら)にある国で素晴らしい国である。
わたくしは、この伊勢の国にいようと思ふ

と、天照大御神さまのご神勅を受けられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、天照大御神さまの教えの通りに、大神さまの御鏡と御剣を遷すための、“その小さな祠(神社)”を伊勢の国にお建てになりました。
この「其の祠」は、やがて後の伊勢の神宮の内宮こと、皇大神宮にあたります。
また、「祠(ほこら)」は、ほ(秀)とくら(倉)から成り、ほくらから、ほこらへと変わっていき、「ご神宝を入れる倉」「小さな神社」という意味だそうです。

現在では、一年間に一千万人が参拝する神宮が、「其の祠」と綴られていることに驚きですね。

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斎の宮「礒宮」

それにより、斎宮(さいぐう)がお住まいになる居所「斎の宮(いつみのみや)」が、五十鈴川の川上の新たに建てられました。
天照大御神さまに奉仕する未婚の内親王や女王を斎(いつき)の皇女(みこ)と呼びます。そして、こちらを「礒宮(いそのみや)」ともうしあげます。「礒=磯」いそは、伊勢の古い名という説もあり、海沿いの地であるという意味なのだそう。

そして、ここが、もっとも大事なところ! ”其の祠”は、

天照大御神さまが、初めて天からお降りになる場所になったところなのです!!!


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「大神を鎮め坐す処を求めて」の長き旅

このところは、研究者によると、後の世の人が追記したのではという説があるそうです。
とはいえ、これまで綴りながら、倭姫命さまのご巡幸を見てきましたが、三十四年の歳月をかけて、天照大御神さまと共に各地を巡られてきました。
初めて、この伊勢の地こそ、天照大御神さまが落ち着かれるところであると、きっと感じられたのではないかしら……と、思ったりするのです。
長い、長い歳月、毎日の祈りの日々、ご巡幸で移動される旅、歩くこともあれば、御船での移動もあります。
もし、自分の人生で、ずっと旅が、ご巡幸が続いていたらどうでしょう?
それが、ようやく、皇祖神さまが、落ち着かれる聖地がみつかった! 倭姫命さまをはじめご一行のお供の皆も、天照大御神さまと共に、安住するところでもあります。

叔母である豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、宮中にお祀りされていた皇祖神の天照大御神さまを、「大神を鎮め坐(ま)させる処を求めて」と、天照大御神さまを永遠に安定したご神事を続けてお祀りできる地を、求められてご巡幸の旅を続けられました
そして、倭姫命さまも、その使命を受け継がれた斎王として、「ようやく、ようやく、ここまで……」と、どれほど、どれほど感慨深かったことでしょう……。
あ~豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)と倭姫命さまに、手を合わせます。

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―次回へ
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